再生する




 彼女は神谷さんと神谷さんのご両親に何度も土下座をして謝り、お兄さんと一緒に自分の両親にも土下座して、お兄さんとの結婚を頼んだ。

 自分たちの都合で突然の婚約破棄。その代償は大きく、彼女は実家を追い出され、お兄さんと一緒に支社のある関東へと移り住んだ。

 神谷さんが仕事へ行っている間に、部屋の荷物を持ち出して……。

 そして部屋には、必要最小限の家具だけが残った。
 あのやけに物が少ない部屋には、そういう理由があったのだ。


「仕事から帰って、がらんとした部屋の真ん中に立ったら、急に寂しくなってね。彼女もいない。荷物もない。残ったのは、少しの家具と、彼女が置いていった指輪と、婚姻届。お兄さんとの新生活に、指輪も婚姻届も必要ないからね」

 そう言ってクリーム色の天井を見た神谷さんの目は、本当に寂しそうだった。

「それからは今まで以上に仕事に打ち込むようになって。掃除や洗濯……仕事以外のことをする時間もないし、する気にもなれないし、その都度下着やシャツを買い足していったら、すぐに部屋が物で溢れた。そしたら少し気が紛れたから、調子に乗って買い足した」

 最初は下着やシャツや靴下やタオル……衣類ばかりだったけれど、そこに本や郵便物や、ゴミまで加えると、さらに気が紛れた。

 それが、三年前の話。

 荷物が増えれば寂しさが減る。
 その繰り返しが、あのゴミ屋敷を作り上げたのだ。


 聞き終えたわたしは、ひどく脱力した。
 神谷さんの、人の心を見透かしたような、でも人が良さそうなあの笑みは、寂しさを隠すように貼り付けた仮面なのではないかと思ったら、急に切なく、もどかしくなったからだ。

 そして、寂しさを紛らすためにあのゴミ屋敷が完成したのだったら、やっぱりわたしなんかが口と手を出して良い問題ではなかったのではないかと思った。

 あの部屋を綺麗に片付けてしまったら、またあの頃の気持ちに戻ってしまうのではないだろうか。

 そう思ってももう遅い。わたしが前回神谷さんの部屋に行ったのは火曜日。掃除を始めて二日目だったけれど、その時点で大分片付いてしまった。
 今日は土曜日で、約束の日は明日に迫っている。毎日片付けを続けていたら、今頃昔の部屋に戻っているだろう。


 すっかり項垂れ、膝の上に置いた手をもぞもぞといじっていると、神谷さんがふっと息をふき出した。

「そんな顔しないで。もう三年も前のことだから、平気だよ」

 三年。もう三年。でも、たった三年だ。大人になってからの三年なんて、あっという間に過ぎる。そんな短い時間で、結婚直前だった彼女のことを、すっきりきっぱり忘れられるのだろうか。

 顔を上げると、神谷さんがこちらを見てくつくつ笑っていた。

 これは、人の心を見透かしたような、人が良さそうな笑顔ではない。明るく、からかうような、子どもっぽい笑顔。そんな顔を見せられてしまったら、わたしは信じるしかないのだ。「平気だよ」と言う、神谷さんの言葉を。




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