再生する




 吉木さんが帰ったあとのスタッフルームには、妙な沈黙が訪れていた。
 それは十中八九、神谷さんを「三十歳で片付けもできない散財癖のあるダメ彼」と評したからだろう。

「あの……すみません……」

 とりあえず謝ってみたものの、神谷さんは「何が?」と、心を見透かしたようなあの笑みの見せた。
 分かっているくせに。意地が悪い。

「……ダメ男だなんて思っていませんよ。ただ、水曜日に神谷さんと電話で話しているのを聞かれて」

「まあ、三年間片付けも洗濯もしないで、シャツや下着ばかり何百枚も買っていたのは本当だから、ダメ男であることに変わりはないよね」

「それにはちゃんと理由があったじゃないですか……」

「恋人に突然婚約破棄されたっていう、情けない理由がね」

「謝りますから、意地悪なこと言わないでください……」

 ぺこりと頭を下げると、神谷さんは笑いながら、その頭に大きな手を乗せる。そしてわしゃわしゃと掻き混ぜるように髪を撫でるから、くすぐったくて仕方ない。

 いや、違う。くすぐったいのは頭じゃない。胸だ。胸がくすぐったいのだ。まるで初恋をしたときのような感覚だった。


「意地悪してごめんね。ダメ男と言われたことは気にしてないよ。ショックを受けたといえば、別のことかな」

「別のこと?」

 聞くと神谷さんは頭の上の手を退け、指先で首筋を掠めるから、わたしは「ひゃあっ」と情けない声を出し肩を跳ね上げた。

「今日は約束の日なんだから、俺が選んだジュエリーを付けてくれれば良かったのに」

「今朝はちょっと寝坊しちゃって急いでたので……ひゃっ、ちょっと、くすぐったいのでやめてください!」

 説明の間にも、神谷さんは何度か首筋を触り、その度にわたしは肩を跳ね上げる。その様子が面白いのか、神谷さんはやめてくれない。
 この意地の悪さは、今まで見たことがない。素の神谷さんは、こういう一面もあるのかもしれない。

 こういう一面も、嫌いではない。むしろいつもの心を見透かしたような笑顔よりもずっと良い。


「このあともっと意地悪するかもしれないけど、とりあえず帰ろうか」

 一緒に、と続け、神谷さんの手が伸びてくる。

 胸がとくんと鳴る。わたしは素直にその手を取り、心を決めて立ち上がった。

 そのとき、だった。




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