再生する
神谷さんの携帯が鳴って、すぐに手が離れる。
「ちょっとごめんね」
謝るジェスチャーをしながら胸ポケットの携帯を取り出し、それを耳に宛てた神谷さんの表情は、人が良さそうな接客用の笑顔だった。
ああ、戻ってしまった。少し残念に思いながら帰り支度をしていると、神谷さんが渋い声を出す。
「今日、これからですか? うーん……いや、そうなんですけど……」
どうやら呼び出しらしい。敬語を使っているということは、年上の誰かか、会社の誰か。
「いつまでこっちにいるんですか? 明日? そうですか……」
話すうちに、神谷さんの表情がどんどん曇っていく。きっとわたしとの約束があるから、急な呼び出しに渋っているんだろう。
でも敬語を使う誰かからの呼び出しなら、行ったほうがいい。
わたしに構わず行ってください、と必死にジェスチャーで伝えると、神谷さんは心底申し訳なさそうな顔で「分かりました、これから向かいます……」と。ようやく電話の相手に伝えた。
「部長からだった。お世話になってる宝石商の方がこっちに来ているらしくて。明日の朝帰るから、久しぶりに会いたいって言ってるって。ごめんね、青山さんのほうが先約だったのに……」
「いえ、わたしは大丈夫ですから。お話もお部屋に行くのも、いつでもできますから」
「ん……。ありがとう」
結論を出すための心は決めたけれど、延期になって良かったかもしれない。
今朝はちょっと寝坊したせいで、身に付けるジュエリーにまで気が回らなかった。神谷さんは、自分が選んだジュエリーを付けて来なかったことで、ショックを受けたらしいし。
そもそも寝坊は、今日のことを考えてなかなか寝付けなかったせいで。
でも延期になったのなら、今日よりはずっとリラックスしてその日を迎えられるだろう。
そうと決まれば早く送り出さなければ。
バッグを肩にかけて帰宅を促すと、「その前に指切りしよう」と神谷さんが小指を立てた手を差し出した。
指切りなんて、子どものとき以来だ。
本当に初恋みたいだな、とくつくつ笑いながら、神谷さんの小指に自分のそれを絡めた。
大きい手なのは知っていたけれど、指は細くて長い。それに触れているだけでなんだかどきどきする。
でも神谷さんの「ゆーびきーりげーんまーん」という間延びした掛け声を聞いたら、気が抜けて笑ってしまった。