再生する
「わたしは、神谷さんが好きです。恩があるからとか、不誠実な気持ちではなく。真面目で優しくて、責任感が強くてごく稀に意地悪で、お酒を飲むと恰好悪くなって欲望がだだ漏れで。大きくて温かい手の神谷さんが、大好きです」
顔を上げて神谷さんをじっと見つめ、自分の気持ちを伝えた瞬間。
どん、と身体に衝撃が走る。
鼻腔をくすぐるのは、柔らかい洗剤の香り。
神谷さんに、抱き締められていた。
神谷さんの腕が肩と背中に回って、さらにきつく。さらに身体が密着する。
「……本当に?」
微かに震えた声が聞こえる。
「本当ですよ」
答えたわたしの声も、少し震えていた。
「それは……付き合うってことで、いいのかな?」
「これで付き合わないっていう選択肢あります?」
「じゃあ、意地悪し放題?」
「し放題ってわけでもないですが。程度にもよります」
「じゃあ、青山さんからキスしてって言ったら、してくれる?」
「え……まあ、それくらいなら……」
「弁当作ってほしいって言ったら?」
「それも、まあ、はい」
「吉木さんや今井さんに見せびらかしながら食べてもいい?」
「そもそも休憩は順番に入るので、見せびらかせないと思いますが……」
「店でいちゃつくのは?」
「なしですね。こっそりでもいちゃつこうとしたら怒ります」
ていうか、これは意地悪なのだろうか。恋人として普通のことと、ただの我が儘のように感じるけれど……。
疑問に思っていたら「じゃあ最後に」と続ける。
「……一緒に暮らして、何もないこの部屋に、ふたりの物を増やしていこうって言ったら、どうする?」
「え?」
答える前に神谷さんは、わたしの後頭部に手を回して、さらにきつく抱き締める。
わたしは胸に顔を埋め、驚く程速い鼓動を聞いた。
きっと、心配することなんてなかったんだ。
神谷さんはわたしを好きになってくれたときから、部屋の片付けを始めたときから、気持ちの整理はできていて、過去ではなく未来を見つめていた。真っ直ぐ前を向いていた。がらんどうの部屋に立ち、わたしとの生活を想像してくれた。神谷さんの人生は、とっくに再生されていたんだ。
返事をしたい。いいですよ、と。一から思い出を作りましょう、と。伝えたいのに、後頭部と腰に回る腕の力は強いままで。
だからわたしは、神谷さんの背中に腕を回すことで答えとした。
(了)