“Three Years”isn't so long





「ソレ、『klang』のバラードっすよね」





コーヒーカップを手に持った現バイトくんの前島君が数メートル隣の二人席に腰掛け、私に笑いかけた。





「え、そうなの?」

「え、知らないまま歌ってるんですか?」





エプロンを外した白シャツにジーンズ姿の前島君。学校帰りなのか、少し大きめのリュックサックを脇に置いている。





「バイト終わり?お疲れさま」

「どうも。ほとんど遠野さんのサーブだけだったんで、全然疲れてないですけど」





肩をすくめる前島君の言うとおり、今日もお店の客入りはイマイチだったようで。彼は働き足りないとでも言わんばかりに自分の肩をぐるぐると回して見せた。






「いい曲ですよね、それ。俺もすごく好きです」

「昔界人が歌ってくれたヤツ。なぜか耳に残ってて」





鼻唄を聞かれていた気恥ずかしさを誤魔化すように私がそう言うと、前島くんはクスリと微笑んでコーヒーに口をつける。





「やっぱり界人さんて、『kaito』なんですねぇ」

「まだ信じてなかったんだ」





「そりゃそうですよ。俺高校の時めっちゃライブハウス通ったんですから。『ワンペニー』の誇るスーパースター『klang』のギタリストですよ?」

「『ワンペニー』ってなに?」





「ライブハウスの名前です」

「ふぅん…」





興味なさげに私が呟くと、前島君は「はは…」と苦笑して、ティースプーンでコーヒーカップをくるりくるりとかき回す。





「遠野さんにとっては、あくまで『界人さん』ってワケだ」

「んー、そだね」





前島くんのセリフにどんな含みがあるかは分からなかったけれど、否定する要素はひとつもなくて。





彼の言葉に、すんなり納得した。そう。彼は「kaito」である以前に「界人」なのだ。少なくとも、私にとっては。





「その歌、いっとき話題になったんですよ。『klang』の曲と歌詞っていつも『kaito』が作ってたんですけど、あまりに今までと感じが違ってたから。しかもバラードだし」

「へぇ…」




懐かしむように語る前島君の、整った横顔に貼り付けられた大きめの瞳が、不意にこちらに向けられた。




「『想い人』のコトを歌ってるんじゃないかって、ファンの間じゃ噂になったくらいで」

「…へェ」





その悪戯っぽい視線に気付かないフリをして、私は何杯目かのコーヒーに口をつけた。






そんな私の様子を見て、前島君はなんとも複雑そうな苦笑をもらす。




「…もし『違ったら』、とは思ったんですけど」

「え、何が。どういう意味?」




真意を測りかねるセリフについて尋ねると、前島君はいつもの爽やかな笑みを作って、くいっと可愛らしく首を傾げてみせた。



「…イヤ。そんなコトより、アレですね。遅いですねぇ、界人さん。こんな素敵な女性を待たせて、何やってんだか」

「何。勤務外でもお世辞は通常営業なワケね」




「勤務外での褒め言葉は大抵本心ですよ」

「勤務中は?」

「それは社外秘です、悪しからず」




軽快なジョークを続ける前島君は、本当にいい男で。店長が20ほど若かったら、こんな感じなのかな、と。詮の無いことをふと考える。





「そしたら、俺は帰ります」




うーん、と伸びをして、勢い良く前島君がガタリと席を立った。





「会ってかなくていいの?界人、ファンなんでしょ?」





私が前島君を見上げてそう言うと、彼はにっと白い歯を見せて「はは」と、短く笑った。





「『界人さん』を目の当たりにして『kaito』に幻滅するのもイヤだし」

「ハハ。なるほど」




私も前島君に合わせて笑う。すると、前島君は窓の外にふっと顔を向けて、呟いた。





「単に『見たくない』ってのもありますけど」





「ダメな界人を?」

「まァ、そんなとこっす。『敵わないな』って、思っちゃいそうなので」





「前島君も、バンドマンなの?」

「…まァ、そんなとこっす」




そこまで言うと、前島君は「またのご来店を」と、勤務外にも関わらず実に涼やかなお辞儀をして、スタスタとレジスター前を通り抜け、入り口扉の鐘をカラーンと鳴らして帰っていった。




「…私なんか、気に触ること言ったかな」




前島君の不思議な様子に首を傾げていると、今度は店長がふらりとテーブル前にやって来た。





「あれ、前島君帰っちゃった?」

「あぁ、ハイ。今しがた」

「そっかぁ」





意味深げに笑って窓を眺める店長に、私は尋ねた。






「前島君も、バンドマンだったんですか?」





すると店長は私の顔を一瞥して、クスリと笑う。





「『バンドマン』の仕事は『想いを伝える』こと。それは必ずしも歌じゃなくていい。手段はなんでもいいのさ」




私が首を傾げると、店長は片手に持ったマグカップに一度口をつけ、「ふぅ…」と幸せそうに息をついた。




「『想いを伝えたい』とちょっとでも思っちゃったら、楽器が全く触れなくても、声が全然出なくっても、『バンドマン』なんだよ。彼は立派な『バンドマン』さ。演奏はまだまだ拙いけどね」






店長がパチンとウィンクをする。












──そのウィンクをまるで合図にしたかのように。






唐突にその時はやって来る。






入り口の扉が再びカラーンカラーンと鐘を鳴らし。






息を席切らせて飛び込んできた人影を目にして、私は弾かれたように席を立った。
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