魔女の森
1話 別れの始まり
季節は秋。


夕暮れの病室、少女はベッドにすがり泣き崩れていた。



「うわああああん!お婆ちゃんッ!お婆ちゃん!」




ベッドの上に眠るは真白き顔の老婆。
その表情は、とても死人とは思えぬほど安らかだった。



「イブちゃん・・・」



小さき少女の背中を、女性看護師はそっと支える。そう、とても悲しげに。

少女・・・西野イブは、目に涙をいっぱいに貯めて顔を上げた。
何故・・・と問いかけるように。



「学校行くまでは元気に笑ってたんだよ!いっぱいお話もしたんだよ!・・・生きてたんだよ・・・さっきまで・・・」



「さっきまで・・・はね・・・」



看護師が涙を拭おうと手を伸ばすが、イブはそれを拒否するように首を振り、涙を散らした。



「もうちょっと、もうちょっと早かったら、私はお婆ちゃんともっとお話できたのに・・・っ」



ベッドで眠るイブの祖母。そう、先程まで生きていたのだ。
イブは学校が終わってすぐ、病院に急いだのだが・・・時既に遅し、祖母は他界していた。イブが病院に到着する一時間前に。

祖母の死を看取ったのは、病院関係者だけだった。他に家族は・・・いない。

看護師は謝罪しようと声をかけようとしたが、言葉が見つからず口をつぐんだ。
代わりに、イブへ一本の鍵を渡す。



「これ、は・・・?」



「お婆ちゃんから、イブちゃんにって。大事な鍵だから、必ず渡すようにっていわれたから。」



鍵をイブの両手にぎゅっと握らせる看護師。
イブは涙を制服の袖で拭うと、不思議そうに手の上の鍵を見つめた。



(・・・どこの鍵だろう?開かない部屋なんてあったっけ?)



イブが泣くのを忘れて見つめても、鍵が答えることは無かった。






ところ変わって、西野家。



イブは台所にあるワインセラーの整理をしていた。

祖母が好きで、よくちびちびの煽っていたワイン。
イブも欲しがったが、「大人になってから」とよくたしなめられたものだ。



・・・いつになったら、「大人」になるのかな・・・



涙を堪えながら、ワインの瓶を一本ずつ丁寧に取り出す。

主人のいなくなったワインセラー。
呑む者もいないワイン。



お婆ちゃん、私、一人ぼっちになっちゃったよ・・・



元々両親がいなかったせいで、それを理由にクラスからはみ出しものにされていたイブ。

しかし、彼女のは唯一祖母という存在があった。
それが、どんなに大きかったことか。


いっその事、大声を上げて泣けたら楽なのに。



そんな時、ワインセラーの棚の奥、キラリと光るものを見つけた。



(穴だ・・・)



目を細めてよく見ると、小さな鍵穴がそこにはあった。

大急ぎでワインを、しかし丁寧に外に運び出し、看護師から渡された鍵をポケットから取り出す。

恐る恐る鍵穴に鍵を差し込むとちょうどはまり、捻ってみるとがちゃりと重い音を立てて回った。



開いた!



その壁・・・いや、扉を押し開けてみると、そこは薄暗い部屋だった。


茶色くくたびれた植物たち。生い茂った蔦。埃まみれの空間。・・・ガーデンルームだった。

「だった」というのは、植物たちは既に枯れており、主が居なくなってから何ヶ月もたっているからである。

イブは、蔦に絡まった一本の木の杖を見つけた。蔦をかき分け引っこ抜いてみると、先端に淀んた色の丸い大きな石が付いていた。



お婆ちゃんの形見・・・?



杖をまじまじと見つめていると、



(タスケテ・・・)



どこからかか細い声が聞こえた。



「な、なに!?お化け!?」



悲しみにくれて声の出なかったイブも、これには驚きの声を上げた。



「ここ、あしもと・・・おみず、おひさま、ほしいの・・・」



床に目を移すと、大きな赤い花・・・人の顔ぐらいの大きさの花が鉢植えに植えられていた。
しかし、萎れかけなのか、葉が茶色くなりかけていた。

イブは、植物が口を利いたことに驚くよりも、行動に出ていた。
鉢植えを抱え、部屋と台所を急いで出る。



「お水と太陽だね、わかった、すぐにあげるよ!」



大事な祖母の形見を枯らせるわけにはいかない。
そんな一身でイブは花を日当たりのいい縁側に置き、ジョウロで水をたっぷりやった。



「わたしが、こわくないの?」



「・・・そんな事言ったらキミに失礼だよ!」



そう声をかけると、花はもそりと花びらを揺らした。





そんなことがあって1ヶ月。



イブに対する周囲の目は、学校だけではなく近所にも広まっていった。



あいつ、ばーちゃんもいないってのに、にやにやしてんだぜ?気持ちわりぃよな・・・



知ってた?あの家、子供1人しかいないのに、会話してる声が聞こえてくるのよ・・・



「どれいくさーん!ただいまー!」



「おかえりなさいなの、まじょさま」



ドダダダダッと笑顔で帰宅したイブに対して、植物はサラリと返事をする。

そんな対応にイブはずべんっと顔から床にダイブした。



「あのねえ、なんで私が魔女なんだよ?」



ぶつけた鼻を擦りながらイブが問いかけると植物・・・赤い花はきっぱりと答えた。



「まじょさまのまごは、まじょさまなの。もーまんたいなの。」

どれいくさんと呼ばれた植物は、えへんと威張るようにふんぞり返りながら紅い花を揺らす。
しかしながら花の下から伸びた葉の隙間から見えるつぶらな紅い瞳は、無表情そのもの。
『どれいくさん』は、ひっくり返った拍子にランドセルからとび出した教科書やノート、筆記用具を片づけているイブに、鉢植えごとぴょこぴょこと近づく。

「無問題じゃないよ……キミが魔法植物マンドレイクで、お婆ちゃんが魔女だったなんて、今でも信じられないし、私まで魔女になるのはまっぴらごめんだよ……」

そう、彼(彼女?)は喋るマンドレイク。一ヶ月前にイブが助けた鉢植えなのだ。
イブの祖母が魔女だという話は、ものごころついた頃からイブが祖母から聞かされていた話なのだが、迷信だと感じるようになったのは去年の誕生日。
イブの祖母が入院するようになってからである。
しかし、こうして実際に現実を見てみると、本当に祖母は魔女だったのではないか、そう思ってしまう。

それにしても。

(ただいまが言えるって、いいなあ……)

つい胸の奥がジンと熱くなり、涙ながらに笑顔かこぼれる。
それを見て慌てたのか、どれいくさんが慌てたようにあっちこっちにぴょんぴょんはねる。

「どうしたの?まじょさまないてるの?わるいやつはわたしがすぐにやっつけるの!」

「ううん、違うよ……嬉しいんだよ。ありがとう、どれいくさん…」

跳ねまわる鉢植えを両手で捕まえると、イブはどれいくさんをぎゅっと抱きしめた。

そんな庭先の池の真ん中で、小さな水の玉が鯉のように小さくぴちょん、と跳ねる。
だが、それに気づく者はだれ一人いなかった。


祖母が亡くなって一ヶ月半が経とうとしていた夜中の事。
喉の渇きに目が覚め、台所へ向かおうと廊下を歩いていた矢先、イブは、窓の外を見て愕然とした。

村が、一面火の海だっだ。

轟々と燃えさかる炎。逃げ惑う人々。
その上空に、青い馬に乗った髭の長い老人が鎌を持って叫んでいた。

「我は火をつかさどりし騎士、悪魔フルカス!愚かなる人間どもよ、業火に焼かれたくなければ我に従え!」

フルカスと名乗る者が鎌を振りかざすと、炎が飛び交う。
イブはその場にへたり込む。がくがくと体が震え、恐怖に涙が流れる。

「あ、あ……」

イブが戻ってこないのを心配し、いつの間にか起きていたのか、どれいくさんが傍に来て呟いた。

「あくま……まもりのケッカイがやぶれたの?」

「イブちゃん!いるかい!?」

紅い景色の中、玄関から声をかけたのは初老の男……町内会の会長だった。

「おじさん……?」

「よかった、ここにいたのかい。さ、早くおじさんと行こう!」

会長はイブの手をとって立たせ、急いで外に飛び出した。
たすかった。
と思った矢先。

イブは信じられない光景を目の当たりにする。

「連れてきたぞ、魔女の子を!これで私たちを見逃してくれるんだろう!?」

連れてこられたのは、悪魔フルカスの目前だった。
イブは、かなしさとショックのあまり声が出なかった。

「知っているんだぞ、あんたらが魔女の一族だってことは!あんたのばあさんが言いふらしてたのを聞いたんだよ!」

「おばあ……ちゃん」

だめ。 大好きなお婆ちゃんを憎んじゃ駄目。
お婆ちゃんが魔女だってことは、小さい頃から何度も聞かされてたじゃないか。
なら、憎むべきものは……だれ?

「ふむ……」

動けなくなったイブの顔を覗き込み、フルカスは品定めするように呟いた。

「魔力はまだ微量だが、確かに魔女の子。よくやった、人間よ」

「じゃあ、助けて」

「やれ」

会長が破顔して顔をあげた瞬間、フルカスが手を挙げ、『どす』と鈍い音がした。
「どうして。」先ほどの笑顔とは裏腹に、そう問いかけてきそうな表情で会長は膝をつく。

どうして。
約束は守ったはずなのに。

みれば、しもべらしき悪魔が、槍で会長の胸を一突きしていた。
その赤き飛沫は、傍にいたイブにも少なからずかかっていた。

「愚か者には肉体など不必要!魂の浄化こそが我が喜び!魔女の子さえ我が手中に収めれば後は用無しよ!」

大きく高笑いするフルカス。鎌を持った腕を高らかにあげると20体ものしもべ達が一斉に現れた。

そのころ、イブの身体にも変化が起こっていた。

どくん、どくん、どくん。

体中の血液が沸騰しているように、熱い。
少女の周りだけ、周りとは違う風がざわざわと吹いていた。
いや、風だけじゃない。透明な液体……すなわち、水。
少女を中心に水がふよふよと漂っていた。
イブはゆっくり目を閉じ、そして一気に見開いた。
釣り上った目、金色に輝く瞳、瞳孔は猫のように細い。
整っていた茶髪はざわりと広がり、幼い顔に影を落とす。

その容姿は、まさに『魔女』そのものだった。

「なっ……覚醒した……だと!?」

しもべの何人かがざわつく。
しかし、フルカスは臆することなくにやりと笑う。

「ほぉ…魔女の子が魔女になったか。面白い、小娘一人で何ができる?」

イブが立ち上がると同時に、兵士たちが一斉に襲い掛かる。

……きゃあああああああああああああああああああ!

突如、布を切り裂くような、地獄の底から這い上がってくるような叫び。
それを聞いた兵士たちが次々に地に落ちていく。
運悪く、炎の海に落ちた者もいる。

「どれいくさん!」

「まじょがつえをわすれちゃだめなの。」

いつの間にかイブの足もとにいたどれいくさんが振り向くと、植木鉢から芽を出すように杖が生えた。
イブが杖を鉢から引き抜くと、漂っていた水の塊たちが集まって小さな少女の形を作り、クスクスと笑い声を上げながら杖の先端の宝玉へと入って行った。
上空へを顔をあげると、炎の中に大きな影が残っていた。

フルカスだ。

息は切らしてはいるものの、髭の下は楽しげににやりと笑っている。

「マンドレイクの叫びか……流石に噂に聞いただけの事はある。しかし我を殺すことはできなかったようだなあ……」
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