夫の教えるA~Z
 目を細めてそちらを伺う。

「どうしたの?アキトさん」
 立ち止まった俺を、彼女が不思議そうに見上げた。

「いや、今何かが……お?」

 確かめるより前に、柱の影からフラッと何かが躍り出た。


 着乱れたスーツ姿に憔悴しきった様子の中年男。
 見覚えのあるその顔に、俺は息を呑んだ。

「あなたは…石田部長…⁉」
 間違いない。それは、今朝会社で話したばかりの男。
「どうしてここへ?貴方は今頃…」
 現場への説明に追われている筈だが…

 と、
 「キャッ…」
 隣のトーコが悲鳴を上げて口を覆った。

 ヤツが右手に構えた果物ナイフが、太陽にキラリと反射したからだ。
 どうやらさっき光っていたのは、後退した額ではなく、コイツだったらしい。

 血迷ったかオッサン。

 咄嗟に俺は、燈子を庇って前に立った。

「…大神……秋人…」
 彼は肩で息をしながら、ギロりと興奮に充血した目を剥いた。

「プロジェクトの中止を…撤回しろ」

 ヤツが一歩を踏み出したので、俺は後ろへ一歩ずり下がる。燈子がギュッとコートの背中を掴んだ。

「お、落ち着なさい。俺は“中止”とは言ってない。経営が上向くまで“延期”と言ったんであって……」
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