夫の教えるA~Z

「トーコちゃん、女から電話があったって言ってたけど?
いいの?こんな所にいてさ。
イヴに逢う約束してんじゃないの?」

そうだった。
だから私はここに来たんだ。
私は、開きかけた口をつぐんだ。


彼は、ドア越しに切なげな声で語りかけてきた。

「……トーコ、違うんだよ。あれは何て言うか…その場のリップサービスというか…分かるだろう。接待なんだよ、場をシラケさせるワケにはいかないだろう」

カリカリと、切なげにドアを引掻く。


私の脳裏に、昨日の言葉が思い出された。

『言いたいことも言えなくちゃ…』
『我慢しすぎは良くないよ』


「よっく言うわ、そうやっていつも誑し込んでるわけ。反吐が出る」

「外野は黙ってろ。…さ、ここを開けてくれるな?トーコ」

「トーコちゃんダメよ!
この男は、全然反省してないんだから。

それ以上ガマンしたら、トーコちゃんが壊れちゃう!
怒りなさい、もっと怒るのよ!」

怒れって言われても。

夏子姉さんは、私のことをまるで自分のことみたいに怒ってくれてるけど…


暢気な人達に囲まれ、ノホホンと過ごしてきた私は、幸せな幼少時代を過ごし、滅多に喧嘩もしなかった。

社会に出ても、競ったり主張したりするのは苦手、怒られこそすれ、怒るなんて機会はなかった。

だから、確かに悲しくって悔しい今も、どうやって、怒っていいか分からない。
ましてやあの “大神秋人” になんて……



「開けてくれないなら、蹴破ってでも入るよ?」

…ちょっと待って。

「いい加減にしなさいよ、いくら何でもトーコちゃんが可哀想じゃないの!」

…カワイソウ?

「開けなさい!トーコ」


頭が、クラクラしてきた。
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