夫の教えるA~Z
 過ぎ去りし青春の日々。
 お金はあんまりなかったけれど、それでも楽しい毎日だった。
 いつしか私の心は、遠い昔の空に飛んでいた。

「フフ…あの日の釧路湿原は…夏でもとっても寒くってね。
 寒い寒いって、くっ付き合って寝たんだっけ」
「ホー」

「あ、でも……その夜の星がすご~く綺麗で。
 ああ、来て良かったなぁ~、これからもずうっと一緒だねって誓って……それから…
あ、あり?」

 ふと立ち返ると、彼は美し恐い顔で私をじっと見据えていた。

「え、な、何?
 ドウシタノそんな、浴衣の帯なんか手に持っちゃって」

 いつの間にやら自らの帯をスルリと抜いて、眼前に両端をピンと張っている。

 
「……随分と…楽しかったんだなあ」

「やば…」
 風向きが変わった。


「『ずうっと一緒』だぁ?

 言ったよな。俺、嫉妬深いんだって。
 ……あれだけ言ったのにまだ懲りないらしいな。
 あ、そうか、わざとやってるんだな。
 いぢわるなコトをサれたんだな、トーコは」

「ななな、何を…」
 しまった、またしても調子に乗りすぎた。

 ずいっと迫り来る彼から、本能的に後ずされば、彼はさらににじり寄る。  
 
 私が彼の膝を飛び退くのと、彼が私を抑え込もうとしたのはほぼ同時__

 私の方が動きは一瞬速かった。
 が。
 逃げおおせたと思ったのも束の間、卑怯にも彼は投げ縄のように帯を投げると、私の腰にすっと通した。

「きゃっ…しまったっ!」

「許さん。今夜…君の中のヤツの記憶を完全消去する。
 君を真っ白にして…その上で俺の記憶を身体全てに刻み込む。
 お仕置き……フルコースだ」

「何かセリフが怖__

 あ、あのねアキトさん。ここは壁も薄いですし、あんまり盛り上がっちゃうと、ご迷惑もかかりますし…
 せめてそういうのはオウチに帰ってからで。明日も早いし……あっ」  

 彼は、無言で首を横に振り、帯をぐいっと手前に引き寄せた。
 力のままに、私は彼(敵)の腕の中に捕らえられる。

「や、ゆ、赦して……」
 
 慈悲を請うため、瞳を潤ませて見上げる私に、彼は酷薄に笑んだ。


 NON(ノン)。


 あぎゃーーーー……


 このヒト、心、狭っ!
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