夫の教えるA~Z
ふう…

ここは、株式会社三鷹ホールディングス北九州支社。
その支社長室の広い窓際に立つ、弱冠30歳のこの部屋の主、大神秋人は、吹き荒ぶ北風に揺らされる木々を見つめ、短く息を吐いた。

俺がここに赴任してきたのは今年の春。桜咲く暖かい晴天の日だった。
あれから早10か月。
己の手腕のお陰で、ここへきた時にくらべ、最悪だった支社の業績は、ぐんと上を向いてきた。
東京本社から経営立て直しの特命を受けてやってきた俺と、地元社員たちとの間にあった深い溝、わだかまりも今は消え、皆が同じ方向を向いて、進む動きに変わっている。

まあ、これもすべて俺のお陰と言っていいわけなんだが。

で、そんな順風満帆の俺様が、どうしてそんな憂いの影を帯びているのかって?
知りたいか、そうか、そんなに知りたい。
ならば教えて差しあげよう。

それは、先ほどのこと。
俺の秘書のようなことをさせている総務課の松田君が、こんなことを言いだしたのが始まりだ。

2時間前___

「支掛けからの入室に、慇懃すぎない敬語。松田もだいぶ分かってきたじゃないか」
「エヘヘ、そうですか。ありがとうございます。ところで、大神支社長は、どうかされたんですか?」

松田は、俺が一瞬脇腹を抑えたのを見とがめ、執務机に近づきながら尋ねてきた。

「ああ、ちょっと最近、胃の辺りがちくっとするときがあってな」
「ええっ、それは大変!一度病院で診てもらった方がいいですよ。大神さんは、支社皆の希望なんですから」

俺は、病院が嫌いだ。理由はあえて言わないが。
眉を八の字に下げ、大げさに心配する松田に俺は慌てて取り繕った。

「まあ、本当にたまにだから、大したことはないんだが。それよりどうした、何の用事だ?」

すると、松田は、さっきまで下っていた眉をぱっと上げた。

「ああ、そうか!でしたら丁度よかったです。はい、これです。どうぞ」

「ん?ああ…なんだこれは……ど、ドック検診!?」

松田から渡された書類を見、俺は思わず声を上げた。
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