夫の教えるA~Z
それから、しばらく経ったある日の事。
用事があって総務課に寄ると、ポツンと松田が残っていた。
退社時刻はとっくに過ぎている。

どうしたんだろう。
近頃は、定時にはそそくさと帰ってゆく姿が執務室の窓から見えていたのに。

この件に触れるのはあえて控えていたのに、その日の俺は、つい気になって訊いてしまった。

「よう松田、久しぶり」
「あ、お、大神さん、どうされましたか?」

俺の声を聞くなりビクッと肩を上げた松田は、ピシッと背筋を伸ばして立ち上がった。

「いや、座っててくれていいんだが、ちょっと欲しい資料があって」
「え、あ、はい、どれですか?僕でわかればいいんですけど、今日は上の人がもう帰っちゃってて…」
「いや、場所は分かってるからいいんだが…」

言葉尻を濁しながら、俺は松田の隣のデスクから椅子を引っ張ってきて、対面に座った。

俺に合わせ、松田も腰を下ろしたのを見て俺はヤツに問いかけた。

「居残り残業なんて珍しいじゃないか。今日は…行かないのか?
その…鍛えてるんだろ、身体を」

「いえあの、その…すみません。今日はちょっと…あの、仕事が随分たまっちゃってて…」

「ウソつけ、総務(こっち)の課長から聞いてるぞ。近頃の松田の仕事は随分早くて正確だって。パパッと片付けて定時には帰るんだって。
何かあったのか?その…目の周りとか赤いけど」
「うっ」

松田の瞳がたちまちウルウルし始める。
と思ったら、

「お、お、大神さ~~~ん…」

ヤツは滝のような涙を流しながら、俺の頸元にすがり付いてきた。

「げっ、分かった、分かったから、聞いてやるから、ちょっと落ちつけ。
取り敢えず、ハナセーーーーッ」


女ならともかく、男はイヤだ!!!
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