夫の教えるA~Z
俺とトーコは、ふたりのために一計を案じることにした。

早速次の日の月曜日、定時間際になって俺は、松田を自室に呼び出した。

「失礼します。どうしたんです急に。
あの、もしかして先週のことで、慰めに飲みにでも誘ってくださるつもりだったら大丈夫です。僕、もうすっかり立ち直ってますから」
「いや違うぞ、全然違う」
「あ」

ソウデスカ、と小さく呟き頭をかく彼は、確かにいつもの松田だ。
そそっかしくて前のめりで、そして何気に図々しい。
しかし、うちの拗らせ姉のためには、そんなにすぐに立ち直ってもらっては困るのだ。

"え、じゃあ何?何ですか?"
ソワソワと落ち着かない松田に、俺は極めて冷静に告げた。

「ああ、急で悪いな。
私用なんだが…折り入って頼みがあるんだ。
実は今夜、急に客が来ることになったんだが、生憎トーコが居なくてな。嫌じゃなければ準備というか、掃除とか手伝って欲しくて」

「あー、それは別に構わないですけど…どうせ暇ですし。
しかし珍しいですね、大神さんが僕を家に呼ぶなんて。いつも"帰れ"って追い返すのに。
あ、それと奥さんがいらっしゃらないのも。もしかして…
大神家に、何かあったんですか?まさか…」

「いや違う、別に俺が浮気したとか、喧嘩して出てったとかそういうんじゃないから。たまたまだ、たまたま」

「いやー、全然そこまで言ってないんですけど…。たまたま、ねえ。なーんか怪しいなあ~。ひょっとして大神さん、僕に何か隠してることでも…」

「いーやっ、ない。全っ然怪しくないから!
…兎に角、いいのなら頼んだぞ、30分後に玄関《エントランス》でいいな?」
「あ、はい、分かりました。じゃ、すぐに準備してきますね」

まだ少し首をかしげながらも、松田は帰る用意をしに自分の課に戻っていった。

ふう、危なかった。天然のくせに意外と鋭いな、アイツ。

…詭弁だが、別に嘘は言っていない。

"急な来客"とは、夏子姉ちゃんだ。
夏子《むこう》はトーコが連れてくる手筈になっているのだから、トーコが居ないのも本当。

部下と姉。
俺の立場からすると多少複雑ではあるが、
間違いなく、ふたりは惹かれあっている。

だから多少強引ではあるが、俺ん家でふたりをひきあわせ、最低限の誤解だけは解いてやる。
ただし、それは呼び水。
その後は当人同士の問題だ。
自尊心《プライド》を守るため、意地を張り続けるなら張ればよし、"自分なんて"と己を卑下し続けるならすればいい。

ったく、面倒くさい。
ここまでしてやるんだから、上手くやれよな、ふたりとも。俺基本、おまえらのことなんか本当にどうでもいいんだから。

…ただ、意地を張りすぎて機会《チャンス》を逃す悔しさや、しなくていい遠回りをする勿体無さは、きっと誰より俺が一番知っている。

認めたくはないが、性格もなにもそっくりな俺の姉ちゃんが、そんなとこまで真似しないに越したことはないから…さ。
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