ツインクロス
「よし、勝ったなっ。俺は雅耶のとこに行ってくるけど、冬樹…お前も来るか?」
直純先生が嬉しそうに声を掛けてくる。
先生は、決勝に向けてのアドバイスや何かがあるんだろう。
「オレは良いです。ここでこっそり観てます」
「…そうか?分かった。また後でなっ」
直純先生は軽く手を上げると、コートの向かい側にいる雅耶の方へ、また沢山の人の合間を縫って歩いて行った。


コートの奥、仲間達に囲まれて笑顔を見せている雅耶を、冬樹は遠く眺めていた。
本当は、自分も傍まで行って激励の言葉の一つでも伝えて来ればいいと思うのに…。
何故か先生に誘われた時、雅耶の傍へ行くことを躊躇(ちゅうちょ)してしまった。
(何故だろう…。今…あの雅耶の目の前に行って、何を言ったらいいのか分からない…)
妙な不安感で一杯だった。
でも、何に対して不安になってるのかが自分でも分からない。
(雅耶が、別人のように見えるからか…?)
傍に行って、いつもの雅耶じゃなかったら…と思うと恐怖さえ覚える。
(変…だな…。何だか…胸が痛い…)
冬樹は訳の判らぬ胸の痛みに俯くと、小さく息を吐いた。




「やったなっ!雅耶っ!!優勝だーっ!!」
「おめでとうなっ!!」

試合を終えて同じ道場の仲間達の所に戻ると、皆が自分のことのように喜んで出迎えてくれた。その一歩奥で、直純先生が腕を組んで笑顔で待っていた。
「良くやったな、雅耶っ!おめでとうっ!」
「ありがとうございます。…何とか、勝てました…」
タオルで汗を拭きつつ答えると、
「なーに謙遜してんだよっ。今日の試合は本当に良かったぞっ」
直純先生はそう言って、軽く肩をポンポンと叩いてきた。そして周囲が未だに盛り上がってる中、笑い合っていると「あっそうだ、雅耶…」と呟いて、そっと耳打ちしてきた。

「そういえば、冬樹が来てるんだよ」

その言葉に。
「えっ?ど…何処にっ?」
思いきり動揺してしまった。
「コートの向こう側にさっきは居たんだけど…。あれ…?移動しちゃったかな…?」
先生の指さす方向に冬樹の姿はなく。
「俺…ちょっと行ってきますっ」
慌てて人の合間を抜けていく雅耶の背中を、
「おう、行ってらっしゃい」
直純は、穏やかな笑顔で見送っていた。

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