冷たいキスと獣の唸り~時間を巻き戻せたら~
応接室を出た廊下には、いくつもの絵画やタペストリーが飾られているが、別に瑞季たち人狼が芸術をこよなく愛している訳じゃない。
全ては、不安定な人狼が暴れた時につけた爪痕を隠すためである。
そのため誰が見てもわかるとおり、壁にかかっている絵の並べ方はバランスが悪いし、タペストリーだって家のイメージに合っていない。
こんな室内を見たら、彼女はどんな反応をするかーー。
(いや、吸血鬼だ……この屋敷の中を歩かせる訳にはいかない)
馬鹿馬鹿しい考えを振り払い、瑞季は扉に手をかけると、ゆっくりと扉を開いた。
そこでようやく、彼はある事に気がつく。
(今日は声が聞こえていない……?)
心臓の辺りが、ひやりとした。
あれだけ叫び、唸っていたのに、ぴたりと止むなんて誰が考えてもおかしいと言うだろう。
(まさか、死んでしまったのでは!?)
そんな考えが頭をよぎり、瑞季は室内に素早く目を走らせた。
彼女は、いつも居るはずの中央には居らず、鎖が許すかぎり入り口から遠い部屋の隅にいた。
驚いた事に、いまだに威嚇の声は上がらない。
それに気をよくして、瑞季は一歩前へと進んだがーー。
「い、いやっ! 来ないで!」
囚人のための薄ぐらい部屋に、女らしい悲痛な声が響いた。
初めて聞いた言葉としてはあまり嬉しくはない。
ただ、言葉を喋れたという事は正気に戻ったという事だ。
瑞季は期待と喜びを胸に近づいた。
ーーが、彼女の目は瑞季を映してはおらず、何処かぼんやりとしていて焦点が合っていない。
「大丈夫だ。落ち着け」
「お願い……殺さないで……どうして? わたしが何を……」
目に見えて、彼女は怯えていた。
(吸血鬼らしくないな)
瑞季は怯える彼女への一歩を踏み出した。