運命の扉
遠くから聞こえる生徒たちの声。オレンジ色の光を放つ太陽。教室の独特な静かな空気があたしたちを包み込む。答えが見つからないまま、悠人を見つめることしか出来ない。
静かな空気を破ったのは向井先生だった。
「ごめんね、お待たせ。Aクラスの吉田先生に話しかけられちゃって。」
両手に抱えたプリントを、あたしの机の上に置いた。
「これ、よろしくね。さっきも言ったと思うけど、誕生日順で。」
「わかりました。終わったら先生のところに行きます。」
プリントと睨めっこのあたしの変わりに、悠人が色々と作業について話を進める。
「ありがとう。待ってるわ。」
仕事を引き継いで、向井先生は職員室へ戻っていった。
「早くやろーぜ。」
悠人は机の上にあるプリントの山から男子分を取り、仕事に取りかかる。
「これ全部やるのー?」
ため息しか出てこない。これが終わるまで2人きりなんて、神様は意地悪だ。
「仕方ねぇだろ、仕事なんだから。さっさとやれよ。」
「わかったよー。」
本当、言葉にトゲがある。理由なく怒るような人じゃないし。あたし、自分が気づいてないだけで気に障るようなことしてるのかな。
「で?どうなの?」
「えっ?」
いきなり話題を切り出されて、何を言いたいのか掴めない。
「真中のこと。」
どうやらさっきの続きらしい。
「好きなの?」
「どうして?」
もし、あたしが敬ちゃんを好きだとしても悠人には関係ない話。答える必要はあるのだろうか。
「あいつは、お前のこと好きそうだと思うけど。」
何の根拠があって、汐里も悠人もそんなこと言うのかな。少し腹が立った。
「どうして、どうしてそう思うの?」
「あんなの俺が見たってわかる。好きってアピールしてんのわかんねぇの?」
アピール?敬ちゃんは、あたしと仲良くなりたいって親しくしてくれる。それが『好き』に繋がるの?
「わかんないよ。敬ちゃんは、友達になりたいって。ただそれ…」
「はっ?お前はバカか。」あたしの言葉を遮った。
悠人の口から発せられる全ての言葉が胸に突き刺さる。今まで沢山ケンカとかしてたけど、こんなに冷たくされるのは初めて。
「気づいてやれよ。あれは『莉奈のことが大好きだー』って主張だよ。いいんじゃね?あいつ人気者だし、お前、一緒にいて楽しそうだし。」
あたしと目を合わせないで一方的に話を進める。
「…どうした?」
悠人は一人で話ていることに、ようやく気づいた。そしてあたしの顔を覗き込む。その瞬間、目を見開いて驚いた。
「真帆?」
驚くのも当たり前だと思う。あたしの瞳からは次々に涙が零れ落ちているのだから。理由なんてわからない。勝手に涙が出てきて止まらない。心の奥が苦しくて、痛くて。抑えきれなくなった悔しい気持ちが溢れてどうしようもない。こんなに冷たくされて。
何もしてないのにキツい言葉を投げられて。憶測だけで話を進める。
「なに泣いてんだよ。」
ほらね。あたしの心の痛みにも気づかない。
「悠人は、何が言いたいの?」
「別に俺は。」
「なんだか、昨日からおかしいよ。」
「えっ?」
「あたし何かした?悠人が機嫌損ねるようなこと言った?」
「…いや……。」
「じゃあ、どうして冷たくしたり、突っかかったこと言ったりするの?」
返事は返ってこない。悠人は黙ってしまった。重い空気が流れる。涙は啖呵を切ったように瞳からあふれ続ける。コントロール出来ればいいんだろうけど、今のあたしにはそれさえ無理だ。一緒の空気にいるのが耐えられなくなる。胸が張り裂けそう。これ以上、一緒にいたくなくてあたしは教室のドアに向かった。
「どこ行くんだよ。」
後ろから悠人の声が聞こえる。表情は見えない。ただ、その声からは苛立ちを感じた。
「もう話したくない。顔も見たくない…。だから悠人が作業終わって帰るまでどこか行く。」
取っ手に掛けた腕を動かそうとしたとき。「おいっ!」力強く押さえつけられた。
反射的に体が怯む。あたしは目が合わないように顔を背けた。
「待てよ。行くな。」
「もうやだよ……。なんなの?敬ちゃんがあたしに好意持ってるとか……勝手に盛り上がらないでよ……」
「俺は………」
悠人は言葉に詰まり、手の力を抜いた。いや、力が抜けていった方が正しいだろうか。声の大きさとは反対に、目は力強くて、気を抜いたら引き込まれそうになる。妙な緊張感が走って胸騒ぎがする。糸が張り詰めたような空気が流れた。よくわからないけど、これ以上、悠人と話しちゃいけない気がする。
「俺は」
「待って……」
思わず悠人の言葉を止めた。その先を言わないで……。
「真帆のことが好きなんだ。」
間に合わなかった。一番聞きたくなかった言葉を、一番聞かされたくない人から聞いてしまった。
「だから…真中と話してんの見ると苛々して、どうしようもない気持ちを莉奈に当ててたんだ。」
真剣な眼差し。こんなに真剣な瞳を見たことがあるだろうか。さっきまでの涙が、ピタッと止まった。
「……いつから…。」
「物心付いたときからだよ。」
上手く言葉が返せない。
「真帆は、誰が好きなの?」
思わず目を逸らしてしまう。誰が好き?
一番わからないのはあたしだよ。敬ちゃんに胸が高鳴ったかと思えば
トビラが寂しそうに音をたてたり。
ちゃんと考えたら答えなんてはっきりしている、と思う。でも気持ちがわかってたとしても、首を縦に振ることは、無理だよ。汐里を裏切ることなんて出来ない。
「……いないよ。」
ごめんね。これが今の精一杯。
「そっか。」
悠人は悲しそうに目を伏せた。あたしは一つの疑問を投げかけてみる。
「ねぇ。もし、汐里が悠人を好きって言ったらどうする?」
「俺は、あいつに一度も恋愛感情を抱いたときはない。」
胸がちくっと痛んだ。汐里がこれを聞いたらどう思うんだろう。
「そう……」
「今後、俺を、好きになることはない…?」
悲しい瞳。悲しい声。ずっと一緒に育ってきたのに、こんなに悲しい顔をした悠人を見たのは初めて。トビラがギシッと音を立てる。開けちゃ、ダメ。お願いだから開かないで。
「あたしは、今の関係壊したくないよ。」
「真帆。」
「三人ずっと仲良しで、くだらないことで笑ったり、くだらないことで喧嘩したり。」「いつかはバラバラになるときが来る。」
頬を伝う涙。あたしのこの涙は何を意味しているの?気持ちが迷子だ。
「俺、ずっと真帆とは好き同士なんだって思ってた。でもいつからか真帆の気持ちがわからなくなったんだよ。」
あなたは、あたしの気持ちに気づいていたの?好きだったことも、気持ちを仕舞い込んだことも、全部伝わってたなんて。言いたいことは山のように出てくるけど、でも、これは伝えてはいけないことなんだ。
「何言ってんの?あたしは悠人に好意なんて抱いたことないよ?」
「どうして嘘つくんだよ。」
「嘘じゃないよ。嘘なんかじゃない…!過去も現在も未来も、あなたを好きになることは絶対にない。」
これが最後の強がり。悠人は力なく腰を下ろした。
少しの沈黙。
その時、教室のドアが勢いよく開く。
「お〜。まだ残ってたんだ?結構時間かかってるの?」敬ちゃんが元気よく現れた。急いで涙を拭う。
「ごめんね。あんまり進んでないんだ。」
泣いてたこと、バレてないかな。
「良かったー。今日さ、グラウンド整備だけで部活早く終わったから、様子見に来たんだ!」
「真中、悪い。全然進んでないけど、俺先に帰るわ。」
悠人はカバンを取り、教室から出て行ってしまった。空はオレンジ色から紺色のグラデーションに変わっている。
「やろっか?」
敬ちゃんは立ちすくむあたしの肩に手を置いて、優しく声をかけてくれた。
優しくされたら泣いちゃうよ。でも、迷惑はかけられない。
「うん。」涙を堪えて笑うと、急に腕を引き寄せられた。目の前にあるのは、敬ちゃんの大きな胸。鍛えた腕があたしを包み込んでいる。
「ごめん。さっきの、聞いちゃった。」
胸の奥の大きな傷がチクっとした。
「泣きたいなら泣いた方がいい。」そう言って、抱きしめる腕に少し力を入れる。
傷口に消毒をすると、痛みが走る。あたしの心は今、まさにその状態。血が滲んだ傷口に敬ちゃんの消毒という優しさが触れて、涙が止まらない。いったいこの涙はどこから湧いてくるのだろう。渇きを知らないようだ。
「ごめんね……。」
「謝んなくていいよ。こっちこそ、盗み聞きみたいなことしてごめん。」
なんでこの人はこんなに温かいんだろう。
静かな空気を破ったのは向井先生だった。
「ごめんね、お待たせ。Aクラスの吉田先生に話しかけられちゃって。」
両手に抱えたプリントを、あたしの机の上に置いた。
「これ、よろしくね。さっきも言ったと思うけど、誕生日順で。」
「わかりました。終わったら先生のところに行きます。」
プリントと睨めっこのあたしの変わりに、悠人が色々と作業について話を進める。
「ありがとう。待ってるわ。」
仕事を引き継いで、向井先生は職員室へ戻っていった。
「早くやろーぜ。」
悠人は机の上にあるプリントの山から男子分を取り、仕事に取りかかる。
「これ全部やるのー?」
ため息しか出てこない。これが終わるまで2人きりなんて、神様は意地悪だ。
「仕方ねぇだろ、仕事なんだから。さっさとやれよ。」
「わかったよー。」
本当、言葉にトゲがある。理由なく怒るような人じゃないし。あたし、自分が気づいてないだけで気に障るようなことしてるのかな。
「で?どうなの?」
「えっ?」
いきなり話題を切り出されて、何を言いたいのか掴めない。
「真中のこと。」
どうやらさっきの続きらしい。
「好きなの?」
「どうして?」
もし、あたしが敬ちゃんを好きだとしても悠人には関係ない話。答える必要はあるのだろうか。
「あいつは、お前のこと好きそうだと思うけど。」
何の根拠があって、汐里も悠人もそんなこと言うのかな。少し腹が立った。
「どうして、どうしてそう思うの?」
「あんなの俺が見たってわかる。好きってアピールしてんのわかんねぇの?」
アピール?敬ちゃんは、あたしと仲良くなりたいって親しくしてくれる。それが『好き』に繋がるの?
「わかんないよ。敬ちゃんは、友達になりたいって。ただそれ…」
「はっ?お前はバカか。」あたしの言葉を遮った。
悠人の口から発せられる全ての言葉が胸に突き刺さる。今まで沢山ケンカとかしてたけど、こんなに冷たくされるのは初めて。
「気づいてやれよ。あれは『莉奈のことが大好きだー』って主張だよ。いいんじゃね?あいつ人気者だし、お前、一緒にいて楽しそうだし。」
あたしと目を合わせないで一方的に話を進める。
「…どうした?」
悠人は一人で話ていることに、ようやく気づいた。そしてあたしの顔を覗き込む。その瞬間、目を見開いて驚いた。
「真帆?」
驚くのも当たり前だと思う。あたしの瞳からは次々に涙が零れ落ちているのだから。理由なんてわからない。勝手に涙が出てきて止まらない。心の奥が苦しくて、痛くて。抑えきれなくなった悔しい気持ちが溢れてどうしようもない。こんなに冷たくされて。
何もしてないのにキツい言葉を投げられて。憶測だけで話を進める。
「なに泣いてんだよ。」
ほらね。あたしの心の痛みにも気づかない。
「悠人は、何が言いたいの?」
「別に俺は。」
「なんだか、昨日からおかしいよ。」
「えっ?」
「あたし何かした?悠人が機嫌損ねるようなこと言った?」
「…いや……。」
「じゃあ、どうして冷たくしたり、突っかかったこと言ったりするの?」
返事は返ってこない。悠人は黙ってしまった。重い空気が流れる。涙は啖呵を切ったように瞳からあふれ続ける。コントロール出来ればいいんだろうけど、今のあたしにはそれさえ無理だ。一緒の空気にいるのが耐えられなくなる。胸が張り裂けそう。これ以上、一緒にいたくなくてあたしは教室のドアに向かった。
「どこ行くんだよ。」
後ろから悠人の声が聞こえる。表情は見えない。ただ、その声からは苛立ちを感じた。
「もう話したくない。顔も見たくない…。だから悠人が作業終わって帰るまでどこか行く。」
取っ手に掛けた腕を動かそうとしたとき。「おいっ!」力強く押さえつけられた。
反射的に体が怯む。あたしは目が合わないように顔を背けた。
「待てよ。行くな。」
「もうやだよ……。なんなの?敬ちゃんがあたしに好意持ってるとか……勝手に盛り上がらないでよ……」
「俺は………」
悠人は言葉に詰まり、手の力を抜いた。いや、力が抜けていった方が正しいだろうか。声の大きさとは反対に、目は力強くて、気を抜いたら引き込まれそうになる。妙な緊張感が走って胸騒ぎがする。糸が張り詰めたような空気が流れた。よくわからないけど、これ以上、悠人と話しちゃいけない気がする。
「俺は」
「待って……」
思わず悠人の言葉を止めた。その先を言わないで……。
「真帆のことが好きなんだ。」
間に合わなかった。一番聞きたくなかった言葉を、一番聞かされたくない人から聞いてしまった。
「だから…真中と話してんの見ると苛々して、どうしようもない気持ちを莉奈に当ててたんだ。」
真剣な眼差し。こんなに真剣な瞳を見たことがあるだろうか。さっきまでの涙が、ピタッと止まった。
「……いつから…。」
「物心付いたときからだよ。」
上手く言葉が返せない。
「真帆は、誰が好きなの?」
思わず目を逸らしてしまう。誰が好き?
一番わからないのはあたしだよ。敬ちゃんに胸が高鳴ったかと思えば
トビラが寂しそうに音をたてたり。
ちゃんと考えたら答えなんてはっきりしている、と思う。でも気持ちがわかってたとしても、首を縦に振ることは、無理だよ。汐里を裏切ることなんて出来ない。
「……いないよ。」
ごめんね。これが今の精一杯。
「そっか。」
悠人は悲しそうに目を伏せた。あたしは一つの疑問を投げかけてみる。
「ねぇ。もし、汐里が悠人を好きって言ったらどうする?」
「俺は、あいつに一度も恋愛感情を抱いたときはない。」
胸がちくっと痛んだ。汐里がこれを聞いたらどう思うんだろう。
「そう……」
「今後、俺を、好きになることはない…?」
悲しい瞳。悲しい声。ずっと一緒に育ってきたのに、こんなに悲しい顔をした悠人を見たのは初めて。トビラがギシッと音を立てる。開けちゃ、ダメ。お願いだから開かないで。
「あたしは、今の関係壊したくないよ。」
「真帆。」
「三人ずっと仲良しで、くだらないことで笑ったり、くだらないことで喧嘩したり。」「いつかはバラバラになるときが来る。」
頬を伝う涙。あたしのこの涙は何を意味しているの?気持ちが迷子だ。
「俺、ずっと真帆とは好き同士なんだって思ってた。でもいつからか真帆の気持ちがわからなくなったんだよ。」
あなたは、あたしの気持ちに気づいていたの?好きだったことも、気持ちを仕舞い込んだことも、全部伝わってたなんて。言いたいことは山のように出てくるけど、でも、これは伝えてはいけないことなんだ。
「何言ってんの?あたしは悠人に好意なんて抱いたことないよ?」
「どうして嘘つくんだよ。」
「嘘じゃないよ。嘘なんかじゃない…!過去も現在も未来も、あなたを好きになることは絶対にない。」
これが最後の強がり。悠人は力なく腰を下ろした。
少しの沈黙。
その時、教室のドアが勢いよく開く。
「お〜。まだ残ってたんだ?結構時間かかってるの?」敬ちゃんが元気よく現れた。急いで涙を拭う。
「ごめんね。あんまり進んでないんだ。」
泣いてたこと、バレてないかな。
「良かったー。今日さ、グラウンド整備だけで部活早く終わったから、様子見に来たんだ!」
「真中、悪い。全然進んでないけど、俺先に帰るわ。」
悠人はカバンを取り、教室から出て行ってしまった。空はオレンジ色から紺色のグラデーションに変わっている。
「やろっか?」
敬ちゃんは立ちすくむあたしの肩に手を置いて、優しく声をかけてくれた。
優しくされたら泣いちゃうよ。でも、迷惑はかけられない。
「うん。」涙を堪えて笑うと、急に腕を引き寄せられた。目の前にあるのは、敬ちゃんの大きな胸。鍛えた腕があたしを包み込んでいる。
「ごめん。さっきの、聞いちゃった。」
胸の奥の大きな傷がチクっとした。
「泣きたいなら泣いた方がいい。」そう言って、抱きしめる腕に少し力を入れる。
傷口に消毒をすると、痛みが走る。あたしの心は今、まさにその状態。血が滲んだ傷口に敬ちゃんの消毒という優しさが触れて、涙が止まらない。いったいこの涙はどこから湧いてくるのだろう。渇きを知らないようだ。
「ごめんね……。」
「謝んなくていいよ。こっちこそ、盗み聞きみたいなことしてごめん。」
なんでこの人はこんなに温かいんだろう。