憧れの染谷くんは、いつも

「え、あ……っと」


顔を上げて初めて、目の前にいるのは仲川さんだということに気付く。歯磨き後なのか大きめのポーチを携えた彼女はふわりと笑顔を見せた。


「染谷さん、ですよね? 呼んできましょうか。ちょっと待っててくださいね」


踵を返して営業部の方へ早足で歩いていった仲川さんからは、ほのかにフローラルの香りがした。


(仲川さん、香水変えたみたい)


前の甘い香りも女の子らしくて彼女に合っていると思ったが、今くらいの方がすれ違ったときに気になって振り返ってしまいそうだ。


ーーまるで、少女から大人の女性になる過程を見ているように。


仲川さんが染谷くんのことを好きだったのは、本人から直接聞いて知っている。今もまだ同じ気持ちなのかどうかはわからないが、以前より穏やかな表情を見せるようになったと感じた。


少しして、パタパタと仲川さんが戻ってきた。少し内巻きになっている髪の毛が弾むように揺れる。


「すみません、染谷さん外に出ちゃったみたいで。ーーあ、これは本当ですよ!」


いつかの会話を彷彿とさせる言葉に、先に仲川さんが反応した。茶目っ気のある慌て方に、思わず声を出して笑ってしまった。


「夕方には戻っているはずですから、また帰りに寄ってみてください」

「ありがとう、ございます」


お礼を言って、その場を去る。
結局染谷くんには会えなかったが、心の奥がほんのり暖かくなった私は、再び午後の業務へと戻った。

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