憧れの染谷くんは、いつも
「松井さん」
「はい」
「帰るところ悪いんだけど、営業部の高嶋のところに、私の代わりにこれ持って行ってくれない? これから用事があることをすっかり忘れてて。ハンコが必要なものだから、直接お願いね」
「……わかりました」
(室長がそんなに大事なことを忘れるだなんて、珍しい……)
そんなことを思いつつも、特に断る理由もないので引き受ける。室長が持っている書類を受け取ろうとすると、必要以上に近寄ってきた彼女が私の耳元で囁くように言った。
「……その様子だとまだ渡せてないんでしょう? 頑張ってね」
「っ!」
驚いて室長の顔を見ると、いたずらが成功した子どものような、高揚した表情をしている。
「ありがとうございます……」
室長に見透かされていたことがとても気恥ずかしく、慌ててお礼を言う。彼女は凛々しくも優しい笑顔のまま、軽く手を振って見送ってくれた。
ーーやはり室長は器の大きい素敵な人だ。
〝先輩のミスで仕方なく書類を届けに行く〟という口実まで作ってくれた彼女に感謝しながら、私は本日二度目の営業部フロアへと向かった。