憧れの染谷くんは、いつも
「ごめんね。私仕事の邪魔してばかり」
「大丈夫だよ。それも込みで時間調整したから」
私のために会社を早めに出てくれたのかと思うと、いたたまれない。
ブレーキペダルを踏む空気のような軽い音が聞こえた。
「松井、今何考えてる?」
「何って……」
「どうせ俺に迷惑かけたとか考えてたんだろ」
「……」
図星過ぎて返答に困る。私は俯いたまま右手で、シートベルトのざらざらしている表面を行ったり来たりもてあそんだ。染谷くんはそれ以上追及してこず、黙って運転している。
「松井ん家って、こっちで合ってる?」
私の気まずさになんてまるで気が付いていないようないつものトーンで突然道を尋ねられた。焦って声が上擦る。
「あっ、うん! 次の信号を左に曲がってまっすぐ……えっと、それから」
「高瀬の家の方かな」
うまく道案内が出来ずにいると、染谷くんは他の同期の名前を出した。高瀬くんと私は最寄り駅が一緒のご近所さんだ。
「そうそう! 高瀬くん家の近く」
「あー、……なるほど。了解」
染谷くんは理解したようにハンドルを切った。
染谷くんは入社した頃から高瀬くんと仲がいいから、もしかしたら何度も遊びに来ているのかもしれない。休日の、完全に気の抜けた姿の自分を見られたことがあるかもしれないと思うと、ドキッとした。
「高瀬とはよく会うの?」
「えっ、たっ、高瀬くん?!」
そんなことを考えていたら、不意に声をかけられて、飛び跳ねそうになった。思わず左胸を押さえる。まだバクバク言っている。
「……どうだろう。ばったり会うことはあるけど」
家が近いと、通う店も同じであることが多い。食材の買い出しで行ったスーパーだとか、DVDを借りに向かったレンタルショップだとかで、鉢合わせることがある。
軽く挨拶したり話したりしているうちに、高瀬くんと気軽に話せるようになっていた。私にとっては大きな進歩だと思う。
ちらりと隣を見ると、冷静だけど穏やかな染谷くんの横顔が目に入る。
染谷くんは、普段DVDを借りたり映画を見に行ったりすることはあるのだろうか。私には雲の上の人過ぎて、あまり雑談という雑談をしたことがない。正直、趣味や好きな食べ物なんてものも何も知らない。
(本当は、染谷くんともっと喋りたいけど……)
私の話なんてつまらなすぎて、かえって気を遣わせてしまいそうだ。こんなに距離は近いのに、見えない壁があるみたいだといつも思う。
私に、もう少し勇気があれば。
そうすれば、憧れの人に近付けるのだろうか。