誠狼異聞―斎藤一、闇夜に駆けよ―
八 油小路事件
慶応三年(一八七八年)十月十四日、京都は二条城に居留中の江戸幕府第十五代将軍、徳川慶喜【よしのぶ】が、天皇に政権返上を奏上した。
大政奉還と呼ばれるこの一大事は、佐幕派と倒幕派、武家と公家との複雑な抗争が続く京都のみならず、日本中を揺るがした。
慶喜公の狙いは、二百六十年余り続いた幕府独裁体制の改革修正を徳川家の主導で行うこと、
急進的な倒幕派である長州や薩摩が幕府を相手取って開戦するのを防ぐことであった。
このとき、慶喜公は確かに政権を天皇に返上したが、日本全国を分割統治する武家への軍事的指導権を放棄してはいなかった。
諸外国との交渉も、幕府主導でなければ全く以て勝手がわからない。
朝廷の首脳陣も幕府寄りが主流である。
ゆえに、幕府独裁が廃止されて全国の大名による合議制が始まることになるとしても、徳川家の影響力は失墜しないと見られていた。