誠狼異聞―斎藤一、闇夜に駆けよ―
斎藤は一歩、後ずさった。
と、声に背中を打たれた。
「やっちまったな。見てたぜ。兄さん、随分若いようだが、腕は大したもんだ。
しかしなあ、困るんだよ。そこに転がってる酔っ払いは、浪人の格好なんぞさせてたが、一応は旗本でね、俺が目に掛けていた飼い犬だ。
しょうもない男だよ。しかしまあ、俺が与えた仕事はきちっとやってくれていたところを、こりゃ参ったね」
いつ、背後に立たれたのだろうか。
振り返ると、身の丈五尺ほどの小柄な、四十絡みの男が、油断なく見開いた丸い目をぎょろりと光らせ、厚みのある唇を引き結んでいた。
粗野に崩した着流し姿でも、髪の結い方や二本差しの佇【たたず】まいは、男が位の高い武士であることを物語っている。