誠狼異聞―斎藤一、闇夜に駆けよ―


抜身の刀を提げた斎藤に、男は気安く近付いた。


斎藤は、動けなかった。


睨【にら】まれているわけでもないのに、鋭く強いまなざしに留め付けられている。



「兄さん、どこの道場のもんだい? 左利きの居合なんぞ初めて見たぜ。おもしれえな。


なあ、その腕、俺のために使っちゃくれねえか? 実を言やあ、兄さんがどんな酒を飲む男なのか、ちょいと前から見ていたのさ。兄さんなら悪くねえ」



身分の高い武士だろうに、伝法な話し方をするその男は、斎藤の目の前で、にっと笑った。


逃げ出したい、と斎藤は思った。


浪人を殺した瞬間に斎藤の体を走り抜けた陶酔を、きっと男は見抜いている。


知りたくも知られたくもない、斎藤のおぞましい本性だった。


人を殺した事実と殺しに快楽を覚えた自分から、そして目の前の男から、逃げ出してしまいたい。


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