誠狼異聞―斎藤一、闇夜に駆けよ―
元治元年(一八六四年)末の時点で言えば、
容保公が京都に居留し、武家と天皇の間に入ることで、佐幕派主導による幕藩体制が、諸外国への対応等の改革を組み込みつつも続いて行く。
そんな見通しを立てる者も少なくなかった。
新撰組局内では、無論、容保公の掲げる佐幕論に貢献したいとの意欲が高い。
ところが、である。
次第に明るみに出たのだが、伊東甲子太郎は、倒幕の思想の持ち主だった。
伊東の倒幕論は穏健であり、御所に向けて発砲して市中での戦闘を引き起こした長州藩士らのような急進性は持たない。
しかし、佐幕派一色の新撰組においては、伊東の倒幕論は異端であり、下手をすれば敵対的ですらあった。