【B】きみのとなり
今まで気をとめることもしなかったけど今日はその音色がやけに耳につく気がする。
何がってわけでもなくただ感覚的には何となくなんだけど、
暫く立ち尽くしてしまっていたアタシ。
「橘高さん」
突然、水谷さんがアタシを呼ぶ声が聞こえた。
「おっ、おはようございます。総師長」
緊張に声がひっくり返る。
「おはようございます。
今日は良いお天気ね。
貴方が来るような気がしていました。
今も気持ちは変わらないの?」
総師長は教会の飴色の扉の向こうに広がる青空に視線を向けながら私は声をかける。
この人は何でもお見通しなんだ。
アタシは何も言わずただ黙って頷いた。
そう……もうあの日、とっくに覚悟を決めてた。
「もう何を言っても変わらないのね」
「はい。
決めていた事ですから」
「院長先生には話しを通しています。
一緒に参りましょう」
水谷さんに言われて院内のエスカレーターを上り最上階にある院長室まで歩いていく。
何かやっぱり、まだマズイかな。
体力低下してるっぽいなーアタシ。
エスカレーターを登り移動しながらも、
息が上がりかけてる自分を感じる。
相変わらずムカムカしてる気持ちの悪さに、
とりあえず、この儀式が早く終わればいいなーってこと思いつかない。
今は水谷さんについて歩くのも必死で、
初めて来たときにはそんなに遠く感じなかった院長室までの道程も今はとても長くて。
「院長先生、技師の橘高さんがお見えになりましたよ」
総師長が院長室の扉をノックする。
暫くして内側から開かれる扉。
ここに来て二度目の対面が最後の日なんて何か皮肉だね。
「私の息子たちが嵩継にも君にも迷惑をかけたようですまなかったね。
橘高さんへの対応も遅れてしまって申し訳ないと思っている」
そう言ってアタシを部屋の中に招き入れてくれた存在。
部屋の中には何人かの若い白衣姿の男の人が存在する。
そして総師長はまっすぐに院長先生の傍へと近づいて隣に立った。
「さぁ、皆さん座りましょう。
どうぞ橘高さんも座ってください」
総師長に促されて着席した来客用ソファー。
総師長の言葉に院長は椅子へと腰かけ、
若い先生一人を残して、白衣姿の人は院長室から退席する。
「アタシ……あっ私こそ、採用されて間がないのに、
この病院を退職するなんてご迷惑おかけします。
だけど……もう居場所なんてないから……」
「居場所がない?」
途端に溢れ出す涙。
絶対、泣かないって思ってたのに。
何も始まってもなかったんだって、
自分にここ数ヶ月ずっと言い聞かせて来たのに。
もう何も考えないって思ってたのに。
涙なんか、もう涸れ果てて出るはずなんかないって思ってたのに。
このまま、ここには居られない。
早く、この場所から立ち去らなきゃ。
ここも嵩兄の香りがする場所だから長くなんて居られない。