遠くの光にふれるまで
若菜の章
幼い頃から、視界のすみにずっと映っていたもの。
それはみんなには決して見えない、お化けだとか幽霊だとか、そんな風に呼ばれているものだった。
幼いわたしは「それ」がみんなにも見えているとばかり思っていて、そこら中に溢れる幽霊によく話しかけていた。
だけど見えないひとにとってその光景は異様で、異常で。気付けば「人」の友だちがいなくなっていた。
わたしは幽霊と話すことをやめた。
見えているのに見えないふりをして、決して目線を合わせず、何事もないようにふるまった。
幽霊と話したら友だちがいなくなる、を呪文のように心の中で唱えて過ごした。
大人になれば幽霊は見えなくなる、なんて言葉を信じ、ただひたすらそのときを待った。
だけど見えなくなるどころか、年を追うごとに霊感は強くなり、二十八歳になった今では、生きているのか死んでいるのか分からないくらいはっきりと見えるようになってしまった。
ただし、うっかり幽霊と視線を合わせるようなヘマはしない。
顔色だったり仕草だったり、見分けはわりとつく。
分からない場合でも、不用意に目を合わせなければいいだけの話だった。
なのに。
それなのにその日だけは違った。
仕事帰りで、くたくたの足を引き摺って帰路についた日。
信号待ちの横断歩道は、こちら側にもあちら側にも、同じように疲れた顔で、信号が青に変わるのを待つひとたちで溢れかえっていた。
そのなかに、ひと際背の高い、整った顔の男性を見つけた。
近年稀に見るイケメン。この辺りにこんなひとがいたのか。
そんなことを考え、はっとした。
男性は黒い着物に袴を穿いて、腰には刀のようなものを携えている。
纏っている空気、というかオーラも、普通とは違っていた。
そもそもこのご時世に、和装はまだしも、刀を持っているなんて有り得ない。
明らかに、生きている人間ではなかった。
しまった、また幽霊を見てしまった、見なかったふりをしなきゃ。
その思いに反して、わたしの視線は男性から離れない。
身体の芯が震える。
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