遠くの光にふれるまで
とにかくゆっくり話そうと促して、部屋に入る。
ひのえさんは目を伏せ、ちっとも視線が合わない。相当怒っているみたいだ。
「……野分さんとは、本当に何でもないんです。昨日も偶然会って、ひのえさんはお仕事で来られないって伝言をもらったあとだったので、お昼ごはんもまだでしたし……。ごはんを食べてすぐに別れました」
「……」
答えてくれない。どうしよう、予想より遥かに怒っているのかもしれない。
「野分さん、中学校の先生なんですが、生徒さんがうちの店の常連で……。そういう話をする、お友だちです」
「……」
やっぱり答えてくれない。話せば分かってもらえると思っていたのに。ええと、ええと……。
「この年になると、年の近いお友だちができることも少なくなるので、良い機会だと思って」
「……ああ、そうだな」
よかった、やっと口をきいてくれた。
ほっとしたのも、束の間。
「何十歳も年が離れててすぐに会えない天使より、同年代で近所に住んでる人間のほうが親しみやすいよな」
「え……?」
お腹の奥が、ぎゅうっと締め付けられた。
違う。違う。そういうことじゃなくて……あ、ちょっとお腹、気持ち悪い……。
「ならはっきり言えばいいだろ。おまえに会いに来るために寝る間も惜しんで働いて、最近現世に行き過ぎだってみんなに怪しまれながらこっちに来てる俺が、馬鹿みてえじゃねえか」
「……」
「所詮は暇つぶしなんだろ? だから俺が来られないって分かった瞬間、別の男と飯に行く」
「……」
「ああ、おまえはそういうやつだったな。俺と初めて会ったときも、俺が人間じゃないって知っていたのに、何も拒否しなかったもんな」
わりと、いや、すごくショックだった。
ああ、ひのえさんはそんな風に思っていたんだ。
ショックだったけれど、泣きも、怒りもしなかった。
ただお腹の苦しさに耐え、今言われたことを頭の中で復唱した。
「……ひのえさん、わたしのこと、そんな風に思っていたんですか……?」
「……ああ。最近はずっと、男好きの軽い女って、そう思ってたよ」
「そうですか……」
なんだ。こんなに焦がれていたのは、わたしだけだったのか。
悲しくなった。ビビビなんてまぼろし。ただの片想い。わたしはこの人を納得させる説明すらできない。
わたしはひのえさんしか見えていません。どうにかそう伝えたいのに……。
その前に、もっと重要なことがある。
「……すみません、ちょっと席外します……。時間がかかると思うので、帰っていただいて大丈夫です……」
「は? 何か反論してみろよ」
「反論というか……」
それ以前に、ちょっともうお腹が限界だった。