遠くの光にふれるまで
秋になると、彼女の人生の終わりが見えてきた。
いつだって右上がりの綺麗な字だったのに、それが少しずつ乱れ始め、ついにはひょろひょろした字で『力が入りません』と。
病気であると告白してから、自分の体調や病状については一切書いてこなかったのに。
『階段すら上れなくて、途方に暮れて、とうごくんに来てもらっちゃいました。近々、とうごくんの家に引っ越すことになりそうです。できればこの部屋でひのえさんを待ちたかった。この部屋にいたかった。ひのえさんとの思い出は、全部この部屋にあるから』
そうだった。彼女と俺が会っていたのは、いつだって彼女の部屋。飯を食い、話をし、笑い合って、抱き合って、喧嘩をした。全部あの部屋での出来事だ。
仕事を辞めて、店に行くことも、初めて会ったあの横断歩道を渡ることもなくなった今、彼女と俺の思い出の全てはあの部屋だった。そこすらなくなってしまうことが、寂しくてたまらない様子だった。
状況はどんどん変わっていく。
葵花や山吹春一に病気のことを話し、篝火家への引っ越し。病気もあちこちに転移しているらしく、彼女の字も日に日に力がなくなっていく。字を間違うことや平仮名で書くことも目に見えて多くなった。
残り数ヶ月、楽しいことをして過ごしたいと言っていた彼女が、楽しいことをできなくなり始めていた。
それが簡単に目に見えてしまうから、つらい。
笑ってはいても、彼女の心には必ず死の恐怖がある。人間界での暮らしが終わったら、六界での暮らしが始まる、と。頭では分かっていても、少なからず恐れはあるだろう。
俺だって怖かった。ずっと昔、人間として生きていた頃。近所の坊さんから六界と輪廻転生の話を聞いていたってのに、病床で薄汚れた天井を見上げているとき、恐くて恐くて仕方なかった。人間としての人生が終わることに違いはないじゃないか、と。恐怖が怒り、怒りが自棄に変わって、どうしようもない日々を過ごした。
そんな彼女の気持ちがよく分かったのは『生まれるのも死ぬのも一回きりのことで、予行練習ができないから、失敗したらどうしようって、思ったりもします』という一文。
生まれるのも死ぬのも一回きり。無事に生まれたからといって、無事に死ねるかは分からない。だから彼女は恐れている。長い時間苦しみ、悲しみ、絶望の中で死ぬことを。
きっと彼女はその恐れを、誰にも伝えないだろう。誰にも伝えなかっただろう。
彼女がそれを伝えたのは、唯一俺だけ。俺だけだったというのに……。