海老蟹の夏休み
きみを見たことがある
 オルゴールの音色が流れたのは、ベンチを立とうとした時。
 軽やかなメロディーは、館内放送の合図だ。小学生の頃に聞いたのと、変わっていない。

 ――本日はご来館くださいまして、まことにありがとうございます。
 ――間もなく夏休み特別イベント、ザリガニ釣りの申し込み受け付けが終了致します。
 ――体験をご希望の方は水族館東側、三日月池までお越し下さい……

 ザリガニ釣りのイベントは午後4時で終わりらしかった。
 何組かの親子連れが、ぱたぱたと急ぎ足で出口に向かっている。

 時間制限を意識していなかった朋絵も反射的に立ち上がり、後を追おうとした。
 穂菜山に来ると決めてから、ずっと楽しみにしていたイベントだから。

 それなのに、なぜかためらいがあり、足が止まってしまう。

(高校生の私が行っても、見てるだけだし)

 いまさら小学生に交じってザリガニ釣りを見学しても、どうしようもない。
 もう昔の話なのだ。
 この古ぼけた水族館と同じで、楽しかった思い出は、色あせた過去のもの。

 薄暗い廊下に立ったまま、出口に駆けて行く子ども達を目だけで追った。

(そんなことより、図書館に行って勉強しよう)
 朋絵は思い直すと、水族館の建物を出た。



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