海老蟹の夏休み
 ザリガニ釣りの手順はシンプルだ。

 釣り竿の凧糸に、するめやウィンナーなどの餌を結びつける。池に浸してしばらく待つと、餌をハサミで掴んだアメリカザリガニが釣り上がる。

 怒っているのか、威嚇しているのか、釣られたザリガニはハサミを高く振り上げた。それを背中から上手につかんで、バケツにそっと入れる。

 柔らかいような硬いような、不思議な殻の感触を今でも忘れない。
 持ち帰って飼うことはならなかったが、朋絵は釣るだけでもわくわくしていた。
 本当に、楽しい夏休みだった。

「ああ、ザリガニになりたい……」
 静かな山の中、小さな池の片隅で、じっとして暮らしたい。
 こんな毎日からサヨナラして。

 次は県立図書館前――

 車内放送が聞こえて、我に返る。
 朋絵の前に座る女子高生が『降ります』のボタンを押した。

(この子もきっと、受験生だ。レベルの高い大学を受けるんだろうなあ)

 朋絵は急激に脱力し、大きな疲労感を覚えた。
 何もかも無駄な気がする。
 座席に深く沈む身体を、どうしようもなかった。

「行ってみようかな」
 バスが減速し、女子高生が席を立つ。
 朋絵は彼女を見送り、座ったまま。降りるはずのバス停を通り過ぎた。
< 5 / 37 >

この作品をシェア

pagetop