キエルビト

名前

とにかくこの場から消えなくては。そう思い、足に力を入れる。
 …名残惜しい。そんなこと、思ってはいけない。
 「ほっとけるわけねーだろ。こんなボロボロな奴がなにいってんだ。」
  リンタが顎で私を示す。
 「お、リンタかっこいい〜」
 「うるせーな!」
  そう言いながらもリンタはまんざらでもないらしく、カルの一言で顔が緩みきっていた。なんと単純な人だろう。
 だが、
 「それに名前がないなら僕がつけてあげるよ。」
  ヒロのこの発言には他の二人も予想外だったらしい。
 一瞬の沈黙の後慌てて抗議の声があがった。
 二人の髪が震える声とともに風になびく。
 「まっ、まてよっ!」
 「そっ、そうよっ!」
  うん、この反応が普通だ。
 私に名前?そんなたいそれたこと許されるわけ無い。
 そもそも、私は存在しているのかも定かではないのだから。
 「猫とかぬいぐるみに名前つけるよーな軽いもんじゃねーんだぞ!?」
 「…うわ。つけてたんだ。あ、じゃなくて、ヒロ!
 名前っていうのはこの子が一生背負ってくものなのよ?私達がきめいていいものじゃないわ。」
  な…まえ。
 何度も連呼されるうちに頭ががんがんしてくる。痛い。
 いつもの記憶の混濁…
  がんがんがん。
 頭を四方八方から殴られているようだ。
 「いくら僕でもそれくらいわかってるよ。気に入らなかったらいつでも捨ててくれていいからさ。」
 「んな無茶なっ!本気かお前!?」
 リンタの慌てた声が空にぽんと浮かんだが、すぐに風に流された。
 「もちろん。だって呼ぶのに不便だろ。…ってことで、いいかな?」
  ヒロの顔がいつの間にかすぐ近くにあった。
 …!?
  すぐには状況が理解できず、とりあえず視線を下にずらし、状況を整理する。
  …な、まえ。 
 この世界に生を受けた時、親から授かる宝物。人間なら誰にでもある特権。
  なぜか頬があつくなった。
  そもそも今のヒロの発言は、私に対してのものなのだろうか?
 そんなこと聞かれた時点で私はいっぱいいっぱいなのに。
  今まで問われたどの言葉にもリンクしない。
 どうやら完全なイレギュラー状況に置かれているらしい。
 「私に聞いているの…?」
 選択肢何て私にあっていいの?
 「当たり前さ!君が決めることだよ。」
  即答だった。
 その答えに私の心の靄がすこし薄まる。
  私が…
  決める…
  そんなことしたことがない…
  いつも"強制"だったから。
  私に権利なんてなかったから。
 「欲し…い。」
  …………!!!?  
   しんとした空気に、少し枯れ気味な声が響いた。
   思わぬ言葉に大きな衝撃が走る。
   今のは、私の言葉!?
  信じられない。
  当人も信じられないほどなのだ、他の人はもっとだろう。
 無意識に、選んでしまったのか。
  私の望む方へ。
  温かい場所へ。
 私は、馬鹿か。また同じことを繰り返すつもりなのか。
  
  もう、自分で自分のことが分からなくなっていた。
 人としての自分と、化物の自分。
  人としての自分は叫ぶ。
     『私は楽になりたいの!もう全部忘れてこの人たちと過ごしたい…。』
  化物としての自分も叫ぶ。
     『私は化物!一生呪いがつきまとうこの体で幸せになれるわけが無い。忘れないで、自分の罪を。』

   2つの心を1つの身体に宿す私はどうすればいいの?
  罪は消せない。呪いも消えない。汚れた手はこの人たちさえも蝕んでしまうかもしれない。
   なら、答えはひとつでしょ?
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