クールなCEOと社内政略結婚!?
ずいぶん日が長くなった。午後六時すぎ、私は父と母が眠る墓石の前で、目をつむり手を合わせていた。
かたや、父は……。
「なお美ぃいいいぃいいい!」
号泣である。初老(と、いうと本人は怒るけど)の男性の号泣。これも毎年母の命日の恒例行事だった。
母が亡くなって、十一年。それは隣にいる男性が私の父となってから同じく十一年経ったということだ。
***
母が亡くなったのは、私が中学三年生になってすぐ、五月の良く晴れた日だった。雲ひとつない青空だったことを、今でも覚えている。
私は生まれた時から、母と二人暮らし。物ごころついたときには、この小さなアパートで母と暮らしていた。
今から思えば、決して裕福ではなかったけれど、毎日笑顔で日々を送っていた。
――母が病に倒れるそのときまでは。
調子が悪いからと言い始めて、息を引き取るまで三週間しかなかった。そのあっと言う間の出来事に私は、悲しいとか寂しいとかそういう感情をもつ暇もなかったように思う。
気がついたときには、棺桶に入った母と狭いアパートにいた。
いつも親身になってくれる、大家さん夫婦と、近くに住んでいる幼馴染みの飯島俊介(いいじましゅんすけ)との両親が、なにもできない私に代わって、いろいろと手配してくれていた。
かたや、父は……。
「なお美ぃいいいぃいいい!」
号泣である。初老(と、いうと本人は怒るけど)の男性の号泣。これも毎年母の命日の恒例行事だった。
母が亡くなって、十一年。それは隣にいる男性が私の父となってから同じく十一年経ったということだ。
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母が亡くなったのは、私が中学三年生になってすぐ、五月の良く晴れた日だった。雲ひとつない青空だったことを、今でも覚えている。
私は生まれた時から、母と二人暮らし。物ごころついたときには、この小さなアパートで母と暮らしていた。
今から思えば、決して裕福ではなかったけれど、毎日笑顔で日々を送っていた。
――母が病に倒れるそのときまでは。
調子が悪いからと言い始めて、息を引き取るまで三週間しかなかった。そのあっと言う間の出来事に私は、悲しいとか寂しいとかそういう感情をもつ暇もなかったように思う。
気がついたときには、棺桶に入った母と狭いアパートにいた。
いつも親身になってくれる、大家さん夫婦と、近くに住んでいる幼馴染みの飯島俊介(いいじましゅんすけ)との両親が、なにもできない私に代わって、いろいろと手配してくれていた。