兄弟ものがたり
“今日の夕飯は何が食べたい?”という真悠のメールを一瞥しただけで、スマートフォンをポケットにしまう。

仕事着、といっても会社の名前が入ったジャンパーとキャップから私服に着替えた和人がやって来たのは、つい数時間前に仕事で訪れたパン屋の前。
扉に“close”の札は下がっているが、鍵はかかっていなかった。

カランカランとこ気味いい音を立てて、扉が開く。


「お邪魔しまー……す」


遠慮がちに中に入れば、いつもは所狭しとパンが並べられている棚も、今は綺麗に拭き上げられて何もない。おまけに、店の中には前田の姿すらない。

恐る恐る店の中を進んで、レジスターが置かれたカウンターの前で立ち止まる。
その奥にある厨房へと続くドアをじーっと見つめてみるが、人が出てくる気配はない。


「自分で呼んだくせに……何でいないんだよ」


堪らずぼそっと呟いてポケットに手を突っ込むと、指先にスマートフォンが当たった。
そのままポケットから引っ張り出してメールの受信ボックスを開くと、先程真悠から届いたメールを眺める。

夕飯の献立を尋ねる何てことないメールだが、和人は返信する気になれなかった。
それ以前に、ここ最近は真悠が訪ねてくるとすぐさま部屋にこもって、顔を合わせないようにしている。
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