兄弟ものがたり
「珍しいですね、前田さんが人を連れていらっしゃるなんて」

「今日は特別なんだ」


穏やかに笑って前田と談笑するその姿に、和人の目は釘付けになる。
立ち尽くす和人を視界に捉えて、その人はニッコリ笑った。


「いらっしゃいませ」


間違えようはずもない。
ここ数日、忘れようにも忘れられず、絶えず頭の中で響いていたあの声。


――「佐川さん」


電話越しに聞こえた、真悠を呼ぶ穏やかな声。


「何してんだ。そんなとこじゃ、メニューが見えないだろ」


不思議そうに首を傾げる前田には目もくれず、和人はただ真っすぐに目の前の笑顔を見つめる。
あの雨の日、真悠と一緒にいたであろう人物が、すぐ目の前に立っていた。


「お客様」


前田と和人以外はお客がいない店内に、柔らかい声が響く。
< 53 / 76 >

この作品をシェア

pagetop