月が綺麗ですね。
『ほら環那、笑って?』
幼い私は、うつむいて首を振った。
『環那は私に似て、本当に人見知りね』
『せっかくの入学式なんだから、笑わないと損だぞー?』
『………』
小学校の入学式。
知らない人たちばっかりで、不安で、怖かった。
私は、そんな子どもだった。
集合写真も上手く笑えない、イマイチぱっとしない子だったと思う。
それでも両親は、いつも、
『環那、笑って』
そう言って、笑顔をくれた。
『……環那、お父さんね、』
あの、雨の日からだった、
両親の顔から笑顔が消えたのは。
もうそこまで来ている死の恐怖に怯えて、笑うことを忘れてしまった2人に私が出来たのは、
『お父さんお母さん、聞いて聞いて!』
笑って、とにかく笑って、その日あったことを楽しく話すことだった。
無力な私なりに、残された時間を、楽しいものにしたかった。
だから、お父さんが生きてるうちは、笑顔で居ようと誓った。
それなのに、お父さんのお願いには、笑顔で頷くことができなかった。
深い深い後悔の海に飲み込まれて、1ヶ月は外に出られなかった。
奇跡にでも何でも縋りついて、請いたかった。
お父さんはどこにいるの、って。
でもそれをしなかったのは、お父さんさんが亡くなった日から、お母さんが涙一つ見せずに働いていたから。
その時の私にできたことは、とにかく家事をこなすことだった。
悲しみを振り切るように全速力で働く母を止められない私は、一緒に走ることしかできなかった。
そして、二度目の余命宣告を受けたときも、雨だった。