あしたのうた
そう、読んでいたのは万葉集の解説本、のようなもの。読むのは初めてではなく、一体何度目なのかは俺自身数えていないのでわからない。
日本最古の和歌集、万葉集。二十巻から成り、収められている和歌は四千五百十六首。大伴家持が編纂されたとされており、成立したのは八世紀と云われている。
恐らく一番有名な和歌関連の作品は、藤原定家が編纂したと云われる小倉百人一首だろう。
嫌いではないけれど、万葉集の方が身近に感じられて。でも周りにはそもそも和歌に興味のある人が少なくて中々話をすることはできなかった。
そこに現れた、紬。
自分の名字と、紬の名字。妹尾と、村崎。妹を、と、紫。
少々こじつけかもしれない。昔の人々が詠んだ和歌はたくさんあって、和歌集に載っていない和歌も当然数知れないほどあるだろう。その中に妹を、と、紫、を詠んだ歌はあったかもしれないし、関係など何一つないのかもしれない。
けれど。
この既視感は、なんなのだろう。今もまだ感じている、会ったことがある、というのを軽々と超えたような感じ。
記憶ほど、信じられないものはないと思っていたのに。過去なんて、会ってないようなものだと考えていたのに。
絶対に、俺は、会ったことが、ある。
「妹尾さんも、和歌、お好きなんですか?」
「も、ってことは、村崎さん、もですか」
紬、と口にしようとしたのを自制した。一応その辺りは気を付けたい。別に、怖がらせたいわけじゃないから。
ただ。ただ、一緒にいたいと、そう願っているだけで。
自分でもよく分からない感情が溢れて、どうしようもなくなってしまっている。
「私、額田王、好きなんです。どうして、って言われても言葉にできないんですけど。でも、好きで、さっき言ってたあかねさす、が一番好きで」
「俺も額田王と大海人皇子のやり取りが好きなんですよね。なんていうか、なんとなく。……村崎さんと同じようなものですかね」
「百人一首が嫌いなわけじゃなくて、百人一首も好きなんですけどね。でも、百人一首って額田王の和歌、入ってなくって。中大兄皇子とか持統天皇は入ってるのに」
中大兄皇子────天智天皇と、その娘で大海人皇子の奥さん、持統天皇。
大海人皇子の奥さんで、その後中大兄皇子に嫁いだ額田王と。中大兄皇子の弟で、その娘を娶った大海人皇子。この二人の和歌は、万葉集には入っていても百人一首には載っていない。
「何か理由があったんだろうけど」
その言い方は、まるで確信しているかのような。
「────村崎さん」
「紬」
「……え?」
「紬、でいいです。あと、敬語もいらない。私、同級生なので」