あしたのうた


貴方と、と付け加えた紬の顔をしげしげと眺めた。


さっきまで少しだけだとしても怯えていたようには、とても見えない。


「……じゃあ、紬。俺も、渉でいいし、敬語じゃなくていいよ。てっきり年上だと思ってたんだ」

「こっちこそ。渉、落ち着いてるから。まあそっちは上履きの色分かれてるの分かってたから、すぐわかったけど」

「嗚呼、よく言われる。大学生ですか、って声かけられたり、流石に居酒屋の割引券渡されるのはやめてほしいかな」

「わかるかも。私もよく成人してると思われてるから……早く大学には行きたいけど」


文学部。重なった声に二人で顔を見合わせて笑う。


どうやら、俺と紬は似ているらしい。


「連絡先、交換しない?」

「うん。私も今言おうと思ってたところ。LINEでいい? まさか万葉集の話ができる子がいるとは思ってなかった」


いいよ、とスマホを取り出し、反動をつけて腰を浮かせる。隣行っていい、と一応許可を取ってから紬の隣に座ると、連絡先を交換して渡したままだった万葉集を受け取った。


「そういえば、紬はどうしてここに来たの? 友達は?」

「嗚呼、お姉ちゃんがここに通ってるから……友達は彼氏と一緒に回ってるんで、私はひとりで。文芸部に行こうと思ったんですけど、プレートと暖簾が見えたから」

「あれか」


紬の言葉に苦笑して、扉の向こう側を指さした。こくり、頷く彼女にそれも仕方ないか、とひとり納得する。確かにプレートに文芸部と書いてあって、尚且つ出入り口に文芸部と書かれた暖簾を垂れ下げてあれば誰だって興味を持つだろう。


昔の先輩が作ったらしい暖簾は、生徒会室の横の元は倉庫だった部屋を間借りして作られた小さな部屋の入口に、昔から下げてあるらしい。


そこだけ謎に存在している細い廊下、その奥にある生徒会と手前の文芸部室が気になってしまうのも、目につけば当然のことだと思えた。


「文芸、行く? すぐそこだけど」

「んー……行く当てがなくて探してたようなものだから、ここにいていいならいたい……かな」

「ん。ばれなきゃ平気だから。俺も人混み苦手だし、いい口実になるかな。……怒られそうだけど」

「怒られるの? 大丈夫?」

「平気平気。お節介な友達がいてさ、こういう行事サボってると色々言われるんだよ」


そうなんだ、と小さく笑った紬にほんと、と呟く。今はシフトで受け付けをやっているはずだからいいけれど、時間が終わったら探しに来る気しかしない。


時刻は十一時前。そろそろシフトが終わる頃だ。


お昼も探しに行かないとな、と思うが、あの人混みの中に乗り込む気にはとてもなれなかった。一食くらい抜いたって問題はないし、人より食べる量が少ないのは自覚している。


「紬は、お姉さんのところには行かなくていいの?」


< 13 / 195 >

この作品をシェア

pagetop