あしたのうた
「────紬」
私より先に来ていた渉の胸に、私は勢いよく飛び込んだ。
「ちょ、……紬、」
「渉、っ」
まだ全ては思い出していないであろう渉に、待っていた、と口に出しては言わない。けれど、心の中でくらい、待っていたと言ったって許されるでしょう?
本当に。あの日、渉のお兄さんに、徹さんに会ってから。渉が思い出してくれるのを、ずっと待っていた。
「……ごめん、紬」
「謝らないで、よ」
渉は悪くない。私も悪くない。徹さんも悪くない。誰も、悪かったところなんてない。
ただ相手を想っていただけ。ただ彼を、彼女を、強く強く想っていた、それだけの話。
それだけの話なのに、史実はそれ通りに伝わることは少ない。私たちが、その証拠を残さなかったから、当たり前ではあるのだけれど。
うたは、伝わる。ずっとずっと、ずっと昔のうたが、こうして千年以上の時を超えても現代に残っている。
けれどそのうたが、そのうたの意味が。当時彼ら、彼女らのうたった意味通りに伝わる保障は、どこにもない。だって、言葉の意味は変わっていく。それはうたを、古文を読んでいれば分かりきったことだったはずなのに。
何も憶えていないのだから、勘違いするのは当たり前だ。
だから私は渉に言わなかった。思い出したけれど、言ったところでどうにもならなかった。うたも解説すればいいのだろうけれど、あのうたを、過去の自分と彼を、私たちの存在するきっかけとなったひとのうたを、解説なんてする気にはなれなかった。
思い出せば、全て分かることだから。思い出さないなんて選択肢は、私の中にはなかった。
実際、ちゃんと、渉は思い出してくれた。そうして、ちゃんと、私のところに来てくれた。思い出してくれると、信じていた。信じていた、というよりも、当たり前に近いもの。
よく、好きよりも愛しているよりも上の言葉は、というテーマを目にする。それぞれにそれぞれの考えがあって、解釈があって、それらに触れるのは自分とは違うセカイに触れているような気がして、楽しい。けれどどの答えも私の答えとは違って、私の答えと一緒なのは恐らく、渉一人、つまりは彼一人しかいないのではないかと思う。
「私にとって渉は、彼女にとって彼は、好きよりも、愛してるよりも、もっと上の、」
「……当たり、前」
「……やっぱり」
ほら、一緒。
好きよりも、愛してるよりも上の言葉は、『当たり前』。それは恋とか愛とか好きとか愛してるとか、そういうものよりも、もっと上のものであって。無条件の信頼ともまた違う、お互いにとってそうあることが当然で、疑う余地どころか疑うという考えすらも思い浮かばないくらい、当たり前のこと。