あしたのうた
わざと強調された名前に、泣きそうになりながら何度か頷いた。くるっと身体の向きを変えられて、玄関に向かって背中を押される。名残惜しく振り返った私に笑いかけ、大丈夫だよという渉にもう一度頷いて、大きく息を吸う。
玄関の扉を意を決して開けると、ひらひらと手を振る渉の姿を目に焼き付けて、どたばたとうるさい足音の主にそっと向き合った。
「紬っ」
「……お姉ちゃん、」
「っ、はぁー……よか、った。帰ってこないんじゃないかと、思ったから……」
「……ごめ、んなさい」
小さく落とした言葉を拾った姉が、ぶんぶんと首を振る。そっと掴まれた手首を振り払うことはせず、素直に姉に連れられてリビングに向かうと、渡された保冷剤を持って二人でソファに並んで座った。
掴まれた手首をやんわりと離して、こちらから手を握る。きゅっと唇を引き結んだ姉が泣きそうに顔を歪めるのを見て、なんでそんな顔するの、と思わずこちらが泣きそうになった。
「さっきは、ごめんね」
「ううん。私も、ごめんね、紬。なんか嫌だったんでしょう?」
「違うよ、」
違うよ、お姉ちゃん。お姉ちゃんは、何にも悪くない。
けれど、私が悪いとも言わない。誰も、悪くない。『過去』に関わることに関しては、誰一人として悪い人なんていない。
「渉はね、私にとっての運命共同体なんだ」
素直にそう言うと、お姉ちゃんはそっか、と嬉しそうに笑う。うん、と頷くと、どうしてか溢れてくる涙を必死に拭った。その手をそっと止められて、ゆっくりと上げた視線に映った姉はどこか寂しそうでもあって、お姉ちゃん、と呼びかけるとどうしたのと返される。
どうしてそんな顔するの、と訊きたかった。嬉しそうなのに、悲しそうで、泣きそうで。その涙は、どんな意味を持っているのか。その笑顔には、どんな意味が含まれているのか。
ねえ、お姉ちゃん。
「お姉ちゃんは、今、幸せ?」
「ど、……して、突然そんなこと」
「ねえお姉ちゃん」
私だって、お姉ちゃんに幸せになってもらいたいんだ。
「渉と、会ったことがあるの?」
お昼に出会って、渉を紹介した時。姉の視線が揺れたのを見逃す私では、ない。
渉は何も知らないようだったから、余計にどんな関係なのかが分からなかった。それにあの時はそれどころではなくなったから、何にも言えなかったけれど。
姉が鏡王女だとすると、会ったことがあるのは恐らく渉ではなくて。
「徹さんを、知ってるの」
「……っ、」
疑問ではなく断定をすれば、お姉ちゃんは否定することなく目を伏せた。