あしたのうた
泣かない姉が、ずっとずっと心配だった。昔から、そう、ずっとずっと、ずっと昔から。姉は私に対して弱いところを見せてはくれず、いつも元気で明るい姉だった。
子供がいるのに、中臣鎌足に嫁ぐことが決まった日も。入れ違いに私が中大兄皇子の妻になった日も。姉はいつだって私の姉で、私のことを大切にしてくれる、どこまでも妹想いの『姉』だった。
だからこそ、姉が泣ける場所がきちんとあるのか不安に思っていた。溜め込むだけではいいことがないのは、経験として知っていたから。お姉ちゃんがちゃんと泣けるということは、私にとってとても大きいことだった。
「心配かけて、ごめんね、紬」
謝るお姉ちゃんに首を振って全力で否定する。たまには妹にも心配くらいかけさせて、と返すと、そっと頭を撫でられる。渉も徹さんも何も言わない中で泣く私たちの涙がひと段落した時、控えめに呼ばれた私たちの名前に、ふと顔を上げた。
「帰るなら送っていくよ」
「兄貴車?」
「今日はたまたまね。……どうする?」
お姉ちゃんと顔を見合わせて、首を振った。送ってもらえるのはありがたいが、二人で歩いて帰りたい気分だった。
「そっか。渉、帰るよ」
「え、でも紬」
「今日はお姉ちゃんと二人だから、大丈夫。……渉、ありがとう」
私の言葉に、きゅっと唇を引き結んだ渉がこくりと頷く。先に店を出ていく二人に続いて、私と姉も手を繋いで店から出た。
会計は、一足先に出て行った徹さんが全部払ってくれたらしい。返そうとも思ったけれど社会人だからと断られてしまいそうで、とりあえず今日のところは諦める。
ふと思い立って姉の手を引くと、私はいつも渉と逢う河原へ足を向けた。
「……帰る?」
「連れてきておいて? ……なんか家で話せるかわからないし、ここでいいよ」
「……うん」
すとん、と草の上に腰を下ろすと、私に倣って姉もその場に座り込む。手は繋いだまま、無言の姉を急かす気にはなれず夜が深まっていくのを静かに眺める。
どのくらい喫茶店にいたのか、思ったよりも闇に染まっていた空は月が綺麗で、川面に映る明かりがゆらゆらと揺れるのをぼんやりと見ていた。
「……私、」
ぽつり、と姉が口を開く。言葉に迷いながら、言葉を探しながら。
「好きな人が、いたんだ」
泣いたせいで鼻声になっている姉の声が、酷く痛い。
「真幸さんって、友達の……千緒の、彼氏だったんだけど、紹介された時に一目惚れ、しちゃって」
その時にはもう、千緒の彼氏だって分かってたのに。
「諦めようとしたんだけど、やっぱりだめで、千緒に隠れてずっと、真幸さんのこと、想ってて、でも……っ」