あしたのうた
真幸さんを、私は知らない。どんな人だったのか、私が彼に逢えることはない、けれど。
お姉ちゃんがもう少し落ち着いたら、話を聞いてみようか。かなしい別れの話ではなくて、楽しかった頃の、一緒に生きていた頃の話を。そうして、かなしいだけの記憶ではなくて、楽しい記憶も思い出してほしい。
その出来事は、決して悪いだけのものではない。
私から、千緒ちゃんにも連絡を取ってみようか。お節介かもしれないけれど、ちゃんともう一度話をしてみて欲しい。それから、徹さんとも。今度はこちらから連れていくのではなくて、姉が言い出すのを待ってもいいのかもしれない。
少しずつ、変えていく。
いい方向に。望む未来が来るように。四人が幸せになれる道を、探して。
「……紬、いる?」
急に土手の上から転がり落ちてきた声に、ぱっと顔を上げた。姉を起こさなかったか心配になって確認すると、すうすうと小さな寝息を立てて寝ている。安心してもう一度声のした方を向くと、見慣れた影を見つけて、私は姉を気にしながら声をかけた。
「渉」
水音に掻き消されやしないかと心配だったが、聞き取れたらしい。
ぴくり、と声に反応した渉が暗い中できょろきょろと辺りを見回している。渉、と再度小声で呼んで、スマホのライトを起動させた。気付いた渉が誰かと話している声がしてから、斜面を下りてくる音がする。
紬、とひょっこり私の顔を覗き込んだ渉が、きょとんとした顔で姉を見た。
「もしかして、寝ちゃった?」
「うん。多分、ここまで大号泣したの久し振りだと思う」
「……そっか。兄貴が、もしかしたらそうなんじゃないかって、一回家帰ったけど探してたんだ」
「え、ごめんね、わざわざ。ありがとう」
「気にしないで。紬立てる? 俺お姉さん運ぶから」
ありがとう、ともう一度繰り返して、緩かった拘束から抜け出す。思ったよりも深いらしい姉の眠りに安心しがら、転ばないように斜面を登る。
すぐそこにいた徹さんが車を示してくれたから、お礼を言いながら後部座席に乗り込むと隣に渉がお姉ちゃんを乗せてくれた。まだ、姉は起きない。
「やっぱり、寝ちゃったか。家まで送るよ」
「ありがとう、ございます。……場所、」
「うん、実は知ってる。……紬ちゃん、明日の放課後、暇だったりする?」
「あ、はい。空いてます」
話がしたいんだ、という徹さんに、頷いた。私も、話したいことは、ある。
少し重い空気の中、姉の寝息だけが車の中に響いていた。