あしたのうた


だって現実に、それを経験してしまっているのだから。


世界五分前仮説。それにかかれば、ほとんど全てのことは誰か神様が作ったことになる。それも本当なのかもしれない。本当はそうなのかもしれない。


けれど、そうではないかもしれないと、久しぶりに自分から考えた。


それだけじゃないかもしれない。記憶を神様が作るとして、ここまで鮮明に感情まで思い出せるものだろうか。神様だからできるのかもしれないけれど、でもそれだけじゃないと。


思い出していることは、文に比べればずっとずっと少ないものだろう。そのずっとずっと少ない記憶で、酷く鮮明に思い出せる感情や触れた肌の温かさや風の感覚や、それらが神様の作りだした虚構だと、信じたくない。


「渉」

「……あ、ごめん」

「大丈夫。ねえ、渉」


軽く胸を押されて、抱き締めたままだということに漸く気付いた。


閉じ込めていた紬を離すと、夏の湿った熱気が逃げる。少し離れて見つめ合う俺と紬を、脇を通り過ぎていく人たちが遠巻きに見ては離れていくのが分かる。


「思い出せたら、教えてね」

「……分かってるよ。だから、待ってて」

「待ってる。ずっと。────だから、」


言葉を切った紬が、何か迷うように視線を落とした。夏の空気が俺たちを包む。さっきまで、紬を抱き締めていた温もりをさらって消える。




「……一緒に、いさせて」




紡ぎ出された言葉に抗う術なんて、俺は持っていなかった。


「俺でいいなら、いくらでも一緒にいる」


前世の記憶。それを持つのは、俺たちだけではないのかもしれない。もっと他にも同じように記憶を持っているひとがいるとして、その人たちが前世で一緒だった人と記憶を持った状態で出逢える確率は、一体いくらなのだろう。


前世を今世に引きずるなんて意識は更々ない。今は今で、あくまで昔は昔。聡太郎だった時とは育った環境も自身を取り巻いている現状も何もかもが違って、同じように重ねることなんて出来ない。


否、もしかしたら。既に俺は重ねていて、だから紬に対して即答したのかもしれないけれど。


きっと恐ろしく低い確率の中で、こうして二人また巡り会えた現実に。それまでに紬に一人背負わせてしまっていた、今ですら背負わせてしまっている、その現状を考えたら。


何よりも、恐らく俺自身が。────その先はきっと、今考えるべきではないことだ。


「紬、お祭り、回ろうか」

「折角来たんだもんね。渉は何か行きたいところある?」

「うーん……紬は?」


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