あしたのうた
正直なところ、その貴重な存在を。たった前世のことだけで失ってしまうくらいなら、俺の前世の記憶だけではなくて紬の前世の記憶も、忘れてしまえればいいと思うくらいには。
この俺が、ここまで紬に執着しているのを知ったら、疾風あたりは腰を抜かしそうだ。こちらからは絶対に言ってなんてやらないけれど。
「紬、送るよ。家どっち?」
「え、でも……うーん、とりあえず真っ直ぐ行って二つ目の角を左」
「家近いんだ?」
「……に、曲がると駅に出るから。そうしたら上り方面かな。渉は?」
「俺も上り。駅何個め? 俺七つ先だけど」
「私、二つ。駅まででいいから。流石に、悪いし」
俺からしたら、遠慮しないでほしいのだけれど。
「だーめ。もう夜遅いし、ひとりで帰らせるわけにはいかないでしょう。聡太郎に怒られる」
「っふ、なにそれ。文は怒らないから大丈夫だって」
「俺が聡太郎に怒られるの。いいから、気にしないで。もっと話したいだけだし、紬は黙って送られておけばいいの」
「はぁい」
諦めたように返事をした紬に、思わず吹き出した。
先程までの緊張感はなく、流れる空気は穏やかで。唯一まだ戻らない紬の声だけが、忘れてしまいそうな事実を伝えてくる。
けれどこれくらい穏やかな空気がきっと正しいものなのだと、繋いだ手から伝わる温かさに何となく思った。
「紬」
「んー?」
「次はどこに行こうか」
今日みたいにどこかお祭りに行くのではなくて、どこか落ち着いた喫茶店か何かでただ話をするのもいいかもしれない。俺も紬も人混みは苦手だから、穴場のような静かな場所がいい。
滅多にしない、俺からの約束。
普段は相手から言い出してくるから、俺から口にすることは滅多にない、約束。
ねえ、紬。
夢を見る。いつも見る夢がある。そこでは俺は俺ではなくて、つい今日、それが聡太郎と文だということが分かった。
けれど、俺たちはたったそれだけ、なのだろうか。聡太郎ではない別の名前を呼ばれた気がする、と言われたら否定はできないし、聡太郎だと断定されたらそうとしか言えないくらいの、強いて言うなれば勘に近いものだけれど。
────『せいご、さん』
今日もまた、耳奥で声が響く。どこかで聞いたことのあるような声。何かを堪えるような、何か訴えるような、悲痛な声。
この声は嘘や幻覚なんかではないと、本能が叫んでいた。
それは記憶ではなく、あくまで勘や知識や想像や。有り得ないなんてことは有り得ない、そんなことが立て続けに起こるのか分からないけれどでも。
聡太郎、のことだけではなく。このせいご、についても、俺はきっと思い出さなければいけないと。
────しんっ、
聴こえた声は、果たして誰のものだろうか。