コクリバ 【完】
かなり日が傾いて電車の長い影が、ビルや踏切を移動していく。
先輩は途中で私の右手を握ってきた。
でも顔は反対方向に背けたまま。

男の人と手をつなぐのなんて初めてで、つないだその手をじっと見ていた。

大きくて筋張った先輩の左手。
頬づりしてみたい。
……ってダメダメ。

「そんなに俺の手が面白い?」

ハッと隣を見ると先輩の左頬が上がっている。

恥ずかしくなって目線を逸らしたけど、こんなんじゃ今日はずっと笑われてしまうと思ったから思い切って相談してみることにした。

「先輩。話しておきたいことがあるんですけど、笑わないで聞いてもらえますか?」
「なんだよ。まさか緒方さんにバレたとか……」
「そんなんじゃないんですけど……実は、私、デートもしたことがなくて……」

「は?」

その音が口から漏れ出たあと、先輩は大笑いし出した。
片方の手を額に当てて目元を隠しながら、肩が思いっきり揺れている。

「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」
「マジで?初デート?」

言わなきゃよかった、と後悔して窓の方にぷいっと顔を向けた。

「初デートで泊まり?」

もう、うるさい。

「奈々。最高」

何が“最高”なのか分からないけど、絶対バカにしている。

「お前さ、古文もうやった?」

「えぇ?いきなり勉強の話ですか?」

「源氏物語やった?」
「……やってないです」
「源氏物語の中で、主人公の男が少女を誘拐してくる話知ってる?」
「源氏物語ってそんな話なんですか?」
「それだけじゃないけど……その男が少女を女に育てるんだよ」

そう言うと先輩は繋いだ手を自分の口元に持っていき、私の右手に暖かくて柔らかい先輩の唇が触れた。

その大人の雰囲気に何も返すことができなくて、ただその整った顔を見ていた。
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