コクリバ 【完】
「落ち着いた?どうぞ」

しばらくすると、美術館のスタッフだったさっきの女の人が、紙コップに入ったお茶をくれた。
「飲んで。落ち着くから……」

冷たくて美味しいお茶。
「ありがとうございました」

ハンカチのこともだけど、泣ける場所を与えてもらったのがありがたかった。

「あの絵に何かあるの?」

なんと答えていいのか分からない。

「言いたくないなら聞かないから。高校生?」
「……はい」
「そう。若いわねぇ。羨ましい。あの絵が、好き?」

好きか嫌いかで聞かれたら、好きだ。
何も知らなかったならば。

「私はね、あの絵が苦手」

美術館のスタッフがそんなこと言っていいの?

そんな私の気持ちが分かったのか、女の人は口元に涼しげな微笑を湛えていた。

「大人になるっていいことばっかりじゃないでしょ?あの絵はそんな純粋じゃない感情も見せつけられてるようで、私は見ていて胸が苦しくなる。芸術って、時に残酷よねぇ」

女の人は何気なく言ったんだろうけど、私の心がズキと軋んだ。


それからどうやって帰ったのかほとんど記憶にない。

絵の雰囲気が変わっていたことより私が心配していたのは、高木先輩のことだった。

先輩があの絵を見たらどう思うか―――

怖くて、怖くて、落ち着かない。

部屋の机の横に座り、ハートのストラップを握りしめるしかできない。

また怒られるかもしれない―――

高木先輩の、怒りに細められた目が頭から離れない。

どうか、高木先輩があの絵を見ませんように……
どうか、あれが真実だと思われませんように……

先輩から電話がかかってきたら、なんて言おう。
いきなり「あれは何でもないんです」と言って余計疑われたりしないだろうか……

ところが―――
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