コクリバ 【完】
「奈々……」

突然の名前呼びにドキンと胸が鳴る。

ジャリ、
先輩が近づく足音がやけに大きく聞こえる。
思わず後ろに下がった。

もう逃げ出したい。

下を向いて、もう一歩後ろに下がる。

でも、私が頑張って開けたその空間は、先輩のたった一歩で、あっけなく埋められた。。

所在無げに胸の前で握りしめていた手首を強い力で取られた---
---瞬間、引っ張られちゃいけないと、抵抗する。

「逃げんなよ」

その声は笑っているようで

顔が熱い。
顔だけじゃなく、全身が熱い……

右の手首を握られたまま、地面しか見ていない自分が、とても格好悪いと思うけど…顔が上げられない。

ぐいっと手首を引っ張られて、その黒いトレーニングウエアの胸に、簡単に頭がくっついた。

先輩が手首を掴んでいない方の腕を、背中に回してきた。

たったそれだけのことなのに、その手の動きにだけ意識が集中してしまう。

その手が、今度は後頭部に移動して、頭を撫で始めた。

心臓が、うるさいくらいに動き回っている。

息も苦しくなってきた。

このままだと、死んでしまう。

防衛本能から、先輩の胸を押して離れた。

その途端、私の頭を撫でていた手が、今度はアゴの下に滑り込み、グッと上を向かされた。

そして、私は見てしまった。
私だけを映している綺麗な褐色の瞳を
そのまま吸い込まれるように別世界に誘われたいと思った目だ。

「…あ……」

その瞬間、涙で視界が歪んだ。
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