コクリバ 【完】
その日は平日だったのに、突然彼が訪ねてきた。

もうその時点で悪い予感がしてた。

「どうしたの?」

黒いヘルメットを窓際に置くと、テーブルに黙って座った彼が一つ大きなため息をつく。

「決まった」
「何が?」
「海外行き」

持っていたコーヒー豆の缶を落としそうになった。

「何?」
「海外派遣」

言葉が出ない。
頭が働かない。

お湯の沸く音で意識が戻ってくるまで、しばらくその場に立ち尽くしていた。

「そ、そっか。いつから?」
「来月」
「そんなにすぐ?」
「あぁ」
「どれく…いつ…」
「奈々」
「うん?」
「コーヒー豆、入ってないぞ」

茶色のドリップペーパーにお湯を注いでいた。

当然、下のガラスのポットに落ちるのは透明のお湯だけ……

高木先輩が立ち上がると、私の手からコーヒー豆の缶を取り、私の肩を押して、テーブルにつかせた。

「奈々。無理しなくていい。イヤだったらイヤだと言ってくれていい」
「え?私がイヤだって言ったら行かないの?」
「……それは、無理だ」
「じゃ。何をイヤだって言うの?」
「……」
「何?」
「……」

何も答えない彼に、指が震えてくる。

「別れる、って言いたいの?」
「おまえが、もし、そうしたいなら……」

鼻の奥がツンと痛んで、涙が溜まった。

「なんでそんなに簡単に言えるの?私ってその程度の存在?私、まだ、信じてもらえてないの?まだ、先輩、疑ってるんでしょ?」
「奈々……」
「だってそうでしょ?私がまた浮気するとか、そう思ってて、それで、それなら先に別れちゃった方が、先輩が楽なんでしょ?」
「違う」
「違わない!」
「違う!」

低い厳しい声が、部屋に静寂を招く。
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