太陽が愛を照らす(短編集)
「身体動かすって、こういうこと?」
国語科準備室。壁一面に敷き詰められた本棚に詰め込まれたテキストや辞書や教材。少し触っただけで埃が舞う。それを吸い込まないようタオルで口を覆って、さつき先生と俺は本棚を見上げていた。ひどい状態の本棚の掃除。俺が呼ばれた理由はそれだった。
「うん、寺田くん教科係だからね。どういうことだと思ったの?」
「いや、別に……」
「さ。口動かしてないで手ぇ動かしなさい」
「はいはい」
開け放たれた窓から生ぬるい風が雪崩れ込んできて、もう夏なんだと思った。
さつき先生はテキパキと片付けをしていて、俺はこっそりその姿を盗み見た。
細い腕だ。掴んだらぽきっと折れてしまいそうなくらい。腰も。足も。順番に見ていったら、踵に絆創膏が見えた。靴擦れだろうか。なんだかそれもさつき先生らしい。
「さつき先生」
「なーに?」
「先生ってさ、小林とできてたって、ほんと?」
その小さな背中に問いかけると、先生は資料を抱えたまま手を止め、ゆっくりと俺に視線を移した。
焦りもしない、驚きもしない、笑いもしない。その表情は真剣そのものだった。
「そういう噂があったのは知ってる。この間学年主任に呼び出されたし」
「そうなんだ……」
「寺田くんもそう思ってるの?」
「俺はさつき先生の口から聞いたことを信じるよ。小テストも、授業で出るよって言ったとこしか出なかったし」
「そう……」
ようやく少し笑って、さつき先生は埃をはらったテキストを机の上に重ねていく。
「今から言うことは、内緒ね」
そんな切り出し方をするということは、本当に小林とできていたのだろうか。
「俺こう見えて口はかたいよ」
逸る気持ちをどうにか抑えこんでそう言うと、先生は静かに、口を開く。
「小林くんのご両親ね、離婚したの」
「……は?」
「ずっと前から不仲だったらしくて、小林くん、ずっと悩んでた」
手を動かしたまま、先生が続ける。
「それで先生が放課後話を聞いていたんだけど、結局離婚が決まって。それからはお母さんに転入先の高校の相談とかも受けていてね。自宅にお邪魔したりもした」
それでできてるなんて噂がたったのかなー、なんて。さつき先生は笑った。
「宮城は、小林くんのお母さんの実家があるんだって。だからこんな時期に転校」
ということは、小林とは本当にできているわけじゃなかったんだ。
舞った埃が、ゆらゆらと床に落ちていく。
さつき先生は心なしか寂しそうな顔で、それを見つめていた。
「小林くんを支えてあげられる、良い友だちがいればよかったんだけどね」
あいつ。小林は、いつもひとりだった。そんな事情があったと気付いていたやつが、誰かひとりでもいただろうか。
否。誰とも喋らずに俯いているやつのことなんて、誰も気にとめやしない。
「さつき先生。俺、気付いてたよ」
「え?」
「家庭の事情は知らなかったけど、小林がいつもひとりで俯いてたこと。気付いてた。たまに話しかけたりしたけど、あいつほとんど喋らないから。そのうち話しかけなくなった」
「小林くん人見知りで口下手だからね。わたしもちゃんと話してもらえるようになるまで時間がかかったよ。小林くんの言葉を待って沈黙一時間とか」
「へぇ、一時間はすごい」
「でも慣れると凄く話しやすくてね。色んな本を読んでいるから物知りだし。思い出せないことがあっても、キーワードをいくつか言うと、ああそれはあれですねって教えてくれるの」
それを聞いて、俺は少し後悔した。
「俺も根気強く話しかけてれば、心を開いてくれたかな」
「うん、きっとね」
「じゃあ話しかけてれば良かったな。実はちょっと気になってたんだ。小林が読んでた本」
「寺田くんと小林くんが、いいお友だちになれればよかったね」
「うん……」
まあ、どれもこれももう遅いのだけれど。小林はお袋さんと一緒に遠くへ行ってしまった。特に学生の俺にとっては、県外というだけですごく遠くに感じてしまう。