太陽が愛を照らす(短編集)
大人になるということ
おれ、禁煙してるんだ。わたしに煙草を教えた男が、スカイプ通話中にそう言った。
ヘビーなあんたがよく禁煙できたね、と返すと、いろいろあるんだよ、と言う。わたしは思わず、吸っていた煙草をパソコン横の灰皿に押し付ける。吸い殻を捨てるのをすっかり忘れていた。この数日で溜まった吸い殻の山に火種が回って、ゆらゆらと煙があがっている。
「やっぱり身体に悪いしな」
その台詞は数年前、わたしが言ったということを、きっとヤツは覚えていない。
ハタチになった瞬間、記念だから記念だから、とわたしを誘い、喫煙者にさせたのは他でもない、聡なのに。ぼさぼさの頭も、やる気のない表情も、ずっと愛用しているという高校時代のジャージも。一緒にいた時と何も変わっていないのに、なんだか遠くに行ってしまったような気がして、寂しくなった。
大学を卒業して、聡は東京の会社に就職。わたしは地元で就職した。学生の頃は毎日一緒にいて、あのふたり付き合ってるんでしょ、と噂まで流れたというのに、今ではたまに思い出した時にこうしてスカイプ通話をするだけになってしまった。そして勿論、わたしたちは付き合っていない。
「好きな子でもできたんでしょ」
冗談っぽく言うと、聡はやる気のない表情のまま、なに言ってんだアホか、と言う。
「せっかく都会に行ったのに。寂しい男ね」
「こちとら会社とアパートの往復なんだよ」
わたしはほっと胸を撫で下ろす。
学生の頃、誰よりも聡のことを知っていたのはわたしだ。誰よりも聡の隣にいたのもわたし。それを、たかが新幹線で一時間ちょいの、たかが都会に、踏みにじられたくなかった。
「モテないのは相変わらずだね」
「余計なお世話だ」
わたしの笑い声をほぼ同時に、ピリリピリリと色気のない音がした。携帯のメール受信音だ。どんなに可愛らしい音に設定してあげても、次の日にはピリリピリリに戻っている。音が変わると気付かないからだと言っていたが、これは相変わらずのようだ。
ヤツはきょろきょろと携帯を探す。床にあったらしいそれを取り上げるため、聡が一瞬画面から消えた。すぐに戻ってきた姿を見て、わたしははっと息を飲む。
驚いた。同じ時期に買い替えた携帯は、なんの偶然なのか同じ機種、同じ色で、マネすんな、と悪態を付き合っていたのに。その悪態が、ちょっと心地よかったのに。もう、マネすんな、は二度と言えなくなってしまったみたいだ。
「携帯、いつ替えたの?」
「いつだったかな、こっち来てすぐかな」
ウェブカメラに映らないよう、わたしは、パソコンの横に置いた携帯を握り締めた。
「やっぱ彼女か」
たまらなく、泣きたい衝動にかられた。
「しつこいぞ、おまえ」
「悪かったね、こういう性格なんです」
聡はこちらを見ることもなく、今度はかたかたとキーボードをたたき始める。ちょうどコンピュータの処理速度が低速になって、声も映像も途切れ途切れになった時だったから、チャットでも飛ばしてくるのかなとも思ったけど、かたかたが止まっても何の音沙汰もない。
わたしではない誰かにチャットを飛ばしたみたいだ。チャットじゃなく、普通のメールかも。決してわたしとの通話中に、誰かとやりとりを始めたわけじゃない。そう信じたかったけど。
ポコン、と。チャットが届いた音がして、聡の視線が画面の上に向く。信じた瞬間に撃沈した。またかたかた。ポコン。かたかた。