太陽が愛を照らす(短編集)
ハモニカの音
暇さえあれば彼はハーモニカを吹く。小学生の頃に買ってもらったらしく、かなり年季が入ったハーモニカだ。
わたしはその音が大好きだった、のに。なぜか今日はいつまで経ってもハーモニカを吹かない。毎日毎日聴いていた音がしないのはなんだか寂しい。
ソファーの上で膝を抱えてテレビを見ている彼に「吹かないの?」と問うと「なくした」らしい。
あんなに毎日吹いていたものをなくすなんて。そんな高等技術、一体いつ身につけたんだ。まあそんな技術を身につけたとしても、何の役にもたたないのだけれど。
「新しいの、プレゼントしようか?」
聞くと彼は力無い声で「いい」と言って首を横に振る。そりゃあ二十年も使っていたのだから、それ以外のものを吹く気にはならないだろう。
「そのうち出てくるよ」
ありきたりな励ましの言葉をかけると、洗濯が終了した音が聞こえたから、ちゃんと励ますのは洗濯物を干してからにしよう。
項垂れる彼を尻目に洗濯物を抱えベランダに出る。この陽気ならきっとすぐ乾くな、と喜びながら、彼のパーカーを持ち上げる。その瞬間、がちゃんと大きな音をたて、足下に何かが落ちた。
年季が入ったハーモニカだった。
それを拾いあげ彼に渡すと、彼はぱあっと笑顔になり、すぐにハーモニカを吹き始める。
まったく。大事なものをポケットに入れたまま洗濯するなんて。良い年なんだからしっかりしてよね。ため息をついてパーカーの皺を伸ばす。
ため息をつきながらも、わたしの気分は晴れやかだった。
聴き慣れた音は耳によく馴染む。美しいハーモニカの音色は、突き抜けるような青空にどんどん吸い込まれていった。
(了)