ここで息をする


「波瑠、今のすっげえよかった!!」

「は、えっ……?」

「さっきの泳ぎだよ! 俺が呼び止めるまでの数メートルの間、おまえめちゃくちゃいい泳ぎしてた!」


私が、いい泳ぎを? それはつまり、先輩が望んでいる“ハル”の姿になれていたってことだろうけど……。


「……私、ちゃんと泳げてました?」


自覚がなかった。水の世界に触れすぎた心の中にはずっと過去の記憶が流れていて、ただひたすら感情のままに私が好きなゆったりとした動きで、水の流れに身を任せて泳いでいただけだから。

先輩が感動したような声で称えてくれるほどの泳ぎを出来ていた自信なんて、私の中にはこれっぽっちもない。

そんな私の浮かない顔に気付いたのだろう。先輩は少し声のトーンを落としながらも、穏やかな笑顔を絶やさずに私に言った。


「ちゃんと泳げてたよ。波瑠らしい泳ぎだった」

「私らしいって……先輩、私のことそんなに知らないくせに」


悩む素振りを微塵も見せずに自信満々に言ってきた先輩に、思わず素っ気ない言葉を返してしまった。

だって、お互いのことをそれなりに分かるような時間は撮影を通して過ごしてきたとは思うけど、肝心な部分は知らないはずだから。水泳をやめるまで、私がどんな風に泳いで、どう泳いでいる瞬間が楽しくて好きだったかなんて。

私が私でいられたあの頃の姿なんて、見たことがないのだから。


「分かるよ、波瑠のことなら。水の中に居ることが好きでたまらないって姿で泳いでた。今日の中で一番、生き生きしてた」


それなのに先輩は、さも当たり前のように言い切った。またあの見透かすような雰囲気を纏った揺るぎない瞳で、私を真っ直ぐに見つめながら。

この目をしている先輩が適当な言葉を並べているとは思えなくて、こんなにも私を理解していることを不思議に思うもののこれ以上言い返すことが出来なかった。


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