ここで息をする
Scene5 水鏡に映る幻影
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8月に入る頃には、台本の半分ほどのシーンの撮影が終わりかけていた。
1時間ほどの作品だけど、実際はもっと長い時間カメラを回しているように思う。だけど本編映像となるのは、何度も撮り直しやカットチェンジを繰り返して作った映像素材のほんの一部だけ。
頑張って演技しても使われないものもあるけれど、それを無駄だとは一度も思わなかった。失敗したシーンも、上手くいったシーンも、それに至るまでの練習の時間も、すべて経験して私は日々“ハル”という人物に近付いているのだから。
この映画にも私にとっても重要な泳ぎのシーンで悩むことは、市民プールで先輩と練習した日から減っている。しかも嬉しいことに、撮影で少し泳ぐぐらいなら息苦しさを感じることが徐々になくなってきているんだ。
プールに居る時間が楽しいことを、あの日以来素直に受け入れているからかもしれない。
息苦しさを感じるようになった過去のトラウマを忘れられたわけではないけど、心の中に残っていたプラスの感情まで今の私が押し潰すべきではないと思えるようになっていた。
全部、高坂先輩のおかげだ。その彼は相変わらず演技指導してくるけど、最近撮影しているシーンの泳ぎはあくまでもあの日のような私らしい泳ぎを理想としているらしくて、競泳レベルの泳ぎを無理矢理求められているわけでもない。
だからプールのシーンを演じても気持ちは今までより幾分か楽で、あれほど遠ざけていたというのに、この調子ならプールに居る時間も悪くないなと思い始めているぐらいだ。
このままクランクアップまで突っ走ってしまおうと意気込んで日々臨んでいる撮影は、おかげで順調だった。
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『“ハル”、そろそろ休もうぜ』
水泳部の活動後に特別レッスンという名の自主練習をしている途中、ちょうど“私”が疲れてきたタイミングで“コウ”が声をかけてきた。